「今月のプラチナ本」は、津村記久子『サキの忘れ物』

今月のプラチナ本

公開日:2020/8/6

今月のプラチナ本

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?

『サキの忘れ物』

●あらすじ●

喫茶店でアルバイトをしている千春は、ある日常連客の女性が忘れていった一冊の本を手にする。それは親や友達、誰からもまともに取り合ってもらえなかった彼女がはじめて読み通した本に。そして10年後、書店員となった千春の前に現れたのは―。ほんのささいな出来事をきっかけに人生は動き出す。表題作「サキの忘れ物」ほか、たやすくない日々に宿る僥倖のような、まなざしあたたかな全9編を収録。

つむら・きくこ●1978年、大阪府生まれ。2005年「マンイーター」で太宰治賞を受賞しデビュー。08年『ミュージック・ブレス・ユー‼』で野間文芸新人賞、09年「ポトスライムの舟」で芥川賞、11年『ワーカーズ・ダイジェスト』で織田作之助賞、13年「給水塔と亀」で川端康成文学賞、16年『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞、19年『ディス・イズ・ザ・デイ』でサッカー本大賞、20年「給水塔と亀」(ポリー・バートン訳)でPEN/ロバート・J・ダウ新人作家短編小説賞を受賞。その他の著書に『とにかくうちに帰ります』『エブリシング・フロウズ』などがある。

『サキの忘れ物』書影

津村記久子
祥伝社 1400円(税別)
写真=首藤幹夫
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編集部寸評

 

平凡な人生の、無限の選択肢

卒業後は会っていない、大学時代の友人たち。顔と名前は憶えている、でもそれだけ。就職したり結婚したり離婚したり、バラバラに歩んできた。それぞれの道がすれ違うのは一瞬、でもそのときポンと渡された一言が、人生を変えることがある。「一度お会いしませんか?」「したいようにすれば?」。わずか7ページでそんな瞬間を描いた「Sさんの再訪」の切れ味が、強く印象に残った。ちいさな選択が人生を変える短編9作を収めて、平凡な人生の無限の広がりを垣間見せてくれる一冊。

関口靖彦 本誌編集長。ちいさな選択を積み重ねるという意味で、一見トリッキーな「真夜中をさまようゲームブック」が本書を代表する一編なのかも。

 

心休まる短編ばかり

まず装丁がとても素敵! 9編のいろんな形の短編たち、その空気をぎゅっとまとめたカバーイラストは、全編読み終わったあとも本の世界に浸っていられて、ずっと見ていたくなる。そんな素敵なカバーに包まれた作品の中で、特に好きだったのは「隣のビル」。主人公が見ていた隣のビルの敷地にあった、木蓮の木と小さなベンチ、窓越しに見えるミニオンの大きなぬいぐるみ……。人の領域に存在するものへの興味、憧れ、開放感。彼女と一緒に一歩外へ飛び出した気分になって、爽快。

鎌野静華 昨年除湿機を壊してしまい、そのまま買わずにいたのですが、梅雨の湿気に耐えられなくなり購入。リモートワークも増えていてフル稼働です。

 

ここにあった本は誰のもの?

津村さんの小説引き出しがとにかくすごい短編集。表題作は「一冊の本が一人の女の子の人生を変えた」という大枠では噛みしめることのできない豊かさを、千春という女性の歩みをその起伏のひだまで捉えた美しい短編だった。かと思えば「行列」は痛烈な作品で、某テーマパークのアトラクションに長時間並んでいる気分にさせられた(私はその時間がけっこう好きなのだが)。列に並ぶという画一的な行為に人々が疲弊する中で、繰り返し登場する占有という言葉の皮肉さにニヤリとなる。

川戸崇央 実家が岩手だと伝えると「じゃあ帰れないですね」と嬉しそうに言われる。いっそ期間限定で帰国子女設定にしようと思ったが今度は言う相手がいない。

 

一人遊びが上手になれそう

ゲームブック式に進めていく「真夜中をさまようゲームブック」に夢中になった。私は最初、自分自身の選択で読み進めていたのだが、警察に連行されてすぐに終了。「なるほど、物語には平凡でなく冒険の選択が必要なのか」と思考をかえては進めていくと今度は殺されて、本を何度も閉じる羽目に。「人生って難しい」とほくそ笑んでしまった。ほかの章でも一人隣のビルに侵入したり、隣の小噺に耳を傾けては一人で怒ったり……。本書には一人でできる自分だけの小さな冒険が詰まっている。

村井有紀子 『脳セク時代』という韓国のバラエティ番組にドはまりし、毎日狂ったようにクイズを解いたり挙句ナンプレを何冊も購入してはトライしてます。

 

息苦しさにあらがう冴えたやりかた

すれ違う、隣り合う、すべての他人がそれぞれの人生を生きている。当たり前なのにすぐ見失うこの事実を、本書の短編ぜんぶが思い出させてくれる。「隣のビル」の〈私〉は職場の不条理に押しやられつつ、窓際から外を見て想像する。「誰か違う人がそこで生活をしてるんだってだけでよかった」。やがて彼女は思う。「もうあいつに傷付けられないところへ行こう」。ここではない場所の、他人の人生、自分と異なる世界観。それに思いを馳せられる限り、人は外へ出ていけるのかもしれない。

西條弓子 大好きな『君は永遠にそいつらより若い』をお守りのように唱えてた20代を過ぎ、そいつら側になってきた。……そいつらも大変だったんですな。

 

窓が開いたような気分

バリエーション豊かな短編は、どの話も偶発的な縁に満ちている。閉店が近い喫茶店の隣の席、半日待ちの行列の前後に並んでいる人、会社からいつも眺めていた隣のビルの住人。このさき二度と会わないかもしれない邂逅は、主人公にとって、うんざりするようなものもあれば、新たな風を吹き込むものもある。このドラマチックすぎない日常感が、もしかしたら自分の身にも起こるかもしれないと思わせてくれる。ささやかな出会いが人生を大きく変えることがある、という希望がまぶしい。

三村遼子 住野よるさんの『青くて痛くて脆い』スピンオフは原作未読の方にもお楽しみいただけます! 理想の世界を目指す大学生の真剣さがひりひりします。

 

枝分かれする展開を楽しむ

多彩な世界観と作者の温かな眼差しによって紡がれた9つの短編からなる本作。私は「真夜中をさまようゲームブック」がお気に入り。読者の選択によって物語の展開が変わるゲームブック形式の短編で、選択肢によっては「主人公はかなり簡単に死んだり、警察に捕まったり」する。たった1編の中に何通りもの物語が詰まっているなんて……これは試さずにはいられない!と物語の結末にたどり着いても、あえて別ルートを探るなど何度も読み返してしまった。紙とペンを用意してぜひ!

前田 萌 夏といえば、怪談&ホラー! 怖い話を読んでいると謎の気配を感じるのは私だけでしょうか……。いないとは思いながらも振り返らずにはいられません。

 

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