他人に親切にすることが、withコロナの時代を生き抜く鍵? 遺伝子に組み込まれた生存戦略の知恵

暮らし

公開日:2020/8/23

さらば、神よ
『さらば、神よ』(リチャード・ドーキンス:著、大田直子:訳/早川書房)

 進化論を提唱した地質学者のチャールズ・ダーウィンの名前を冠している、「ダーウィン賞」なるものがある。自らの愚行によって死亡するか生殖機能を失い、その愚かな遺伝子を後世に残さず人類の進化に貢献した者に賞が与えられるという、いささか悪趣味かつ不道徳な賞だ。科学的に、愚かな遺伝子が本当に継承されるものなのかは不明だが、動物行動学者のリチャード・ドーキンスが進化生物学を一般向けに分かりやすく解説した『利己的な遺伝子』では、遺伝子は自己の生存と繁殖の成功率を高めるように振る舞うとしている。そして彼には宗教との決別を説いた『神は妄想である』という著作もあり、若い人に向けて執筆したとされるこの『さらば、神よ』(リチャード・ドーキンス:著、大田直子:訳/早川書房)は、宗教について論じた第1部「さらば、神よ」と、科学について解説している第2部「進化とその先」の構成となっていて、その対比が面白い。

道徳に宗教は役に立つか

 Noである。キリスト教徒の家庭に生まれ、キリスト教の学校に通っていた著者は、15歳の頃にキリスト教信仰を捨てた(実は私も4代続くキリスト教徒で、キリスト教の学校に通っていたうえ、著者と同じ英国国教会の信徒である)。彼はすでに9歳の頃、他の宗教の家庭に生まれていたならば、違う神を信じていたであろうことに気づいていたという。そんな著者による、聖書への批評は辛辣かつユーモアに富んでいる。

 新約聖書の代表的な4つの福音書において、イエスが産まれた場所さえベツレヘムとナザレの2箇所を記しており相互に矛盾していることや、当時のローマにおける歴史的事実と聖書の記述が合わないことを指摘されては、グウの音も出ない。また、キリスト教の前からあった旧約聖書を聖典とするユダヤ教や、あとから成立したイスラム教が、同じ神を唯一神として崇めていながら戦争を繰り返してきた歴史を振り返ってみてれば、とても道徳的な教えにはなりえない。

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道徳に哲学は役に立つか

 答えは、Noだ。本書では、さまざまな派閥がある道徳哲学のうち、「とにかく正しいことと、とにかく悪いことがある」と考える絶対主義者と、「行動の帰結(結果)を気にする」帰結主義者とが、中絶について論じる思考実験を載せている。絶対主義者が胎児は母親とは別の人間であり、胎児にも権利があるから「中絶は殺人」だと主張すれば、誰が苦しむのかを問う帰結主義者は、胎児は不安も後悔も感じないが、女性の方は望まない出産により苦しむおそれがあると反論する。

 両者の討論は確かに興味深くて、解釈の違いが新たな視点や考え方を提示していくものの、基準を定めることはできない。双方が1個の受精卵を「特定の個人」と仮定することに合意したとしても、受精した後に分裂する一卵性双生児はどう解釈するのかという、新たな問題が生じてしまう。

道徳に科学は役に立つか

 Yesである。進化論というと、「突然変異」を思い浮かべる人もいるかもしれないが、ダーウィンが唱えた進化論では「自然淘汰」が肝となる。足が速いことで知られるチーターの進化を考えたとき、突然に爪が30センチになったり足の長さが2メートルになったりしてしまっては、獲物を捕まえる成功率が下がってしまう。ここで重要なのは突然変異のプロセスは無作為で、爪が鋭くなるのではなく丸くなることや、足が短くなるという方向にもなりうること。ただ、どちらにしても大きい突然変異は「マイナス効果をおよぼす可能性が高くなる」から、自分の遺伝子を伝えるために無理な変化はしない。そのうえで自然淘汰は、「親切に味方する」という。

 例えば、吸血コウモリを使った実験で、同じ洞窟に生息するコウモリ同士は餌にありつけなかったコウモリに食べた物を吐き戻して与え、別の場所に生息しているコウモリを紛れ込ませた場合には与えなかった。人間なら知らない人にも施すかもしれないが、その場合の道徳観は思想信条の違いなど「のちに習得される道徳観念にひっくり返されると私は思う」と著者は懸念を示している。

答えが分かっている本を読む必要はあるのか

 答えは、Yesだ。著者は解説している聖書の該当部分を自分でも読んで確かめるよう勧めているし、道徳哲学についての思考実験の議論を「あなた自身で続けてかまわない」と促して、科学的な解説をするのには紙幅が足りないと述べている。訳者によれば、本書の原題は『「神を卒業する」ためのビギナーズガイド』を意味するそうだが、いきなり天啓を受けたかのごとく全ての知識が頭に入って何かを卒業するというのはありえないだろう。

 新型コロナウイルスの報道直後に特定の商品を買い求めるというのは、まるで神の救いを求める宗教的行事のようだし、都市部から地方へ帰省した人に嫌がらせをするなどというのは、自己を守る生存戦略から大きく外れている愚劣な振る舞いというもの。本書はこれからの時代、自分で学び自分で考える力を身につけるためのガイド本として役に立つはずだ。

文=清水銀嶺