大卒の息子が就職後に突然引きこもりに…。老いていく母親と中年の息子の地獄のような日々との闘い

社会

公開日:2020/8/24

『「大人の引きこもり」見えない息子と暮らした母親たち』(臼井美伸/扶桑社)

 いま日本では“大人の引きこもり”が増えている。昨年3月、内閣府は40歳から64歳までの引きこもりを推定61万人と発表。だが、当人たちが感じている苦しみは数字では見えてこない。
 
 だからこそ手に取ってほしいのが、『「大人の引きこもり」見えない息子と暮らした母親たち』(臼井美伸/扶桑社)。本書には息子の引きこもりという地獄のような日々を経て、ようやく一筋の光を掴んだ母親たちの叫びが綴られている。
 
 引きこもりは「親の責任」や「個人の問題」だと片づけられることも多く、引きこもる人は“特別な人”だと思われやすい。しかし、本書に掲載されている8人の母親たちの体験談を知ると、本当にそうなのだろうかと考えさせられる。
 
 8人の母親たちはみな、当時の自分にできる精一杯の愛情表現を子どもにしており、子ども側もある時期までは、いわゆる“普通の子”だった。大人の引きこもりは、実はどの家庭でも起こり得ることなのだ。
 
 本稿では、就職後に引きこもりとなった男性の話を紹介。引きこもりとなる理由や親と子の両方が幸せになれる脱出のヒントを探ってみたい。

原因は就職先でのストレス…引きこもりになった大卒の息子

 大人の引きこもりになるのは、学生時代から不登校気味だった人だけではない。中には、何事もなく大学を卒業し、就職した後に引きこもる人もいる。

 大卒の石田宗太さん(40歳・仮名)は22歳の時、突然、会社の寮から出ていき、行方不明に。これは、迷惑がられても初対面の人に話しかけなければいけない外回り営業のストレスと成績を上げなければ会社にいられないというプレッシャーの狭間で苦しんだ末の行動だった。

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 実家には2カ月後に戻ってきたが、仕事を辞め、引きこもりに。母親の雅子さんは「子育ては普通に終わった」と思っていたため、まさか我が子が引きこもりになるなんて…と頭を抱えた。

 腫れものに触るように過ごし、仲のいい友人にも相談できない日々の中、雅子さんは偶然、引きこもり家庭に訪問サポートをしてくれるNPO団体「ひまわりの会」を知る。夫妻は藁にも縋る思いで会合に参加し始め、会長である村上友利さんの訪問サポートを受けるように。

 しかし、宗太さんが村上さんを避け続けてしまい、状況はなかなか変わらない。そこで夫妻は「宗太くんを家から出し、センターの近くで一人暮らしをさせよう」という村上さんの提案を受け入れ、息子用のアパートを借りるなどして準備を進めた。

 決行日、夫妻は必要ならば1日がかりで息子を説得するつもりだったが、宗太さんは村上さんの3時間の説得を聞いた後、家を出ていく決心を固めたそう。自ら、ハサミで背中まで伸びた髪を切り、仙人のような髭も剃った後、父親と村上さんに付き添われて家を出ていった。宗太さんの1年2カ月の引きこもりは、こうして終わったのだ。

 当時の心境を、宗太さんはこう語る。

「しばらく無視を続けていたけれど、そのうちだんだん面倒くさくなって、このまま出て行ったほうがラクかと思うようになった。(中略)結果的に僕にとっては、『強引に』というのと『訳もわからず』というのがよかった。もしあのサポート訪問がなかったら、10年くらい引きこもりをしていたと思う」

 こうした体験談から見えてくるのは、引きこもりの我が子に対して親ができることには限界があるという事実。近年、引きこもり支援の形が「家族を中心に見守る」から「第三者が訪問して手を差し伸べる」という方向に変わってきていることからもうかがい知れるように、親にはできない救済法がたしかに存在するのだ。

“取材すればするほど見えてきたのは、「できること」ではなく「してはいけないこと」を知ることの大切さだ。”

 自身も母親である著者のこの言葉は重い。「親にできること」と「親だからできないこと」の両方をしっかりと知り、受け止めること。それは、親子が共に明るい未来を掴むための第一歩になる。

 本書にはこの他にも、高校生で不登校となり13年間引きこもった男性の話や、座敷牢のような部屋で10年間引きこもった後の親子の再生記などが収録されている。宗太さんのような元引きこもり当事者の声も知れるため、我が子の気持ちが少し理解しやすくもなるだろう。

 まだ完全に安心できるわけではないけれど、自分の時間や普通の日常を少しずつ取り戻してきた8人の母親たちの体験談は、我が子の引きこもりを誰にも相談できずに絶望している親たちの心を照らすだろう。決して特別なものではない、大人の引きこもり。どんな家庭の“その先”にも希望があってほしい。

文=古川諭香