「子どもがいなくなって、元気な母親っているの?」特殊清掃の世界を描く―― 大藪春彦賞にもノミネート、期待の作家デビュー作が文庫に!

文芸・カルチャー

公開日:2020/9/2

跡を消す 特殊清掃専門会社デッドモーニング
『跡を消す 特殊清掃専門会社デッドモーニング』(前川ほまれ/ポプラ社)

 2018年、第7回ポプラ社小説新人賞の受賞作に選ばれた『跡を消す 特殊清掃専門会社デッドモーニング』(前川ほまれ/ポプラ社)。本作の帯には書評家の大矢博子さんが「一気読みだった。上手い。主人公が『死とは何か』を考えるのと一緒に、読者も自ずと死について考えるようになる」との言葉を寄せており、新人離れした筆力の高さと、ストーリーテリング力、そして後述する特異な“設定”が注目を集めた。

 そんな話題作に文庫版が登場。未読の人はぜひ、これを機に読んでみてほしい。

 本作の舞台設定は特殊清掃の世界だ。この特殊清掃とはなにか? あまり聞き馴染みのない言葉かもしれないが、端的に言うと、「訳ありの死を迎えた人たちの部屋を清掃する仕事」のこと。孤立死や自死など、住人が死んだ理由はさまざま。発見が遅れ、部屋が想像もつかないくらい凄惨な状態になっていることもしばしばだ。本作ではそんな知られざる仕事に従事する若者たちの姿を通して、生きることと死ぬことを読者に投げかけている。

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 主人公はフリータとして気ままに生きる若者・浅井航。人の死とは縁遠い世界で生きていた浅井は、特殊清掃会社「デッドモーニング」を経営する笹川啓介との出会いにより、そのディープな世界へと足を踏み入れることになる。

 本作を読んでいて驚かされるのが、特殊清掃現場のリアルな描写だ。孤立死した人間の部屋に漂う、〈鼻の粘膜が焼かれるような、ほんの少しだけ甘ったるいような、脳をかき混ぜられるような異臭〉。これが〈誰にも気づかれずに亡くなった人間の臭いだ〉という。そして、目に飛び込んでくるのは無数の蝿の死骸。異臭を堪え、虫の死骸を淡々と片付ける彼ら。その傍らにはキャラクターもののマグカップや、レトルトの空き容器、煙草の吸い殻など、確実に故人が生きていた“跡”が残されている。そう、彼らは生と死の痕跡が残る部屋を清掃し、なにも残らないように仕上げることを課せられる人たちである。

 ここまで読むと、作者である前川ほまれさんは「人の死」にフォーカスし、それをつぶさに見つめようとしているようにも感じる。けれど、デビュー直後のインタビューで前川さんは次のように話していた。

「“人の営み”を書いてみようと思ったことが、本作の出発点だったんです。そこまで壮大な物語にするつもりはなくて、ただ、人の生活の先になにかがあるのではないかと。手探り状態で書きはじめました」

 このように、本作は「死の痕跡を片付ける」という行為を通して、人の営みを見つめ直そうとしているのだ。

 浅井と笹川が請け負う案件は、実にさまざまだ。なかでもやはり考えさせられ、涙してしまうのは「息子を亡くした母親」のエピソードだ。まさか子どもが自分よりも先に死んでしまうなんて……。母親の胸中を想像するだけで、涙腺に来る。

 その母親が、浅井に心の叫びをぶつけるシーンがある。彼女は次のように言う。

“大切に育ててきた子どもがいなくなって、元気な母親っているの?”
“あの子の苦しみに気づけなくて、どうしようもない後悔を感じている母親に、笑えって言うの?”

 浅井は息子を亡くした母親を励まそうと思い、元気を出してくださいと軽はずみが言葉をかけてしまう。もちろん、浅井に悪気がないことは理解できる。しかし、身近な人の死を乗り越えるのは決して簡単なことではなく、また、無理に乗り越える必要があるのだろうか、とも考えさせられる。

 ちなみに、このエピソードは前川さんが自身の母親をモデルにしたそうだ。

「このエピソードに登場する母親は、私の実際の母親をモデルにしているんです。もしも私が死んでしまったら、母親はきっとこうするだろう。そんな風に想像しながら書き進めました」

 浅井はこのような失敗を繰り返しながら、それでも特殊清掃員として少しずつ成長していく。そして、物語は笹川が抱える闇へと焦点が当てられ、予想もしなかった展開を見せる。この先は本作を読んで確かめてもらいたい。

 ひとつだけ断言するとすれば、本作の読後感は非常に爽快である、ということ。死というテーマだけを見れば暗いイメージがちらつくが、決してそんなことはない。浅井と笹川の目線を通し人の死を見つめ直すことで、生きるとはどういうことか、その本質に触れられるのだ。

 ちなみに、前川さんは第2作目となる『シークレット・ペイン 夜去医療刑務所・南病舎』で第22回大藪春彦賞の候補にも選ばれた。新人作家ながら、その実力はお墨付き。まさに今後の活躍も楽しみである。そんな作家のデビュー作を、文庫になったこのタイミングで味わってもらいたい。

文=五十嵐 大