愛されなくても生きてていいですか? 親のために働きつづける女子大生が背負う「親子愛」という「呪い」

文芸・カルチャー

公開日:2020/9/5

愛されなくても別に
『愛されなくても別に』(武田綾乃/講談社)

 愛されること。それは世の中に数多くある“こうあるべき”という価値観のうち、ひと際逃れがたい「呪い」である。家族やパートナー、友人に愛されることは、まるでそれ自体が人間の価値を決めるかのように語られる。SNSを見れば、自分が「愛されている」ことでマウントをとる人や、逆に「誰からも愛されない」ことを嘆く人がいる。さらには、「愛されるには○○すべき!」とテクニックを語る人もいて…。この世は無数の「愛されたい」にあふれている。

 それなら、愛されない人生は幸せじゃないのか。愛されなきゃ生きちゃいけないのか。武田綾乃さんの新刊『愛されなくても別に』(講談社)は、そんな世界に対する反抗なのだと思う。主人公の宮田陽彩は、19歳の女子大学生。母親とふたり暮らしの彼女は、1日8時間のアルバイトを週6でこなす。睡眠時間を削って働く理由は、家に入れるお金(月8万円)と年間約100万円の学費を稼ぐためだ。母親は年収400万円ほどあるが、浪費癖がひどく学費は払ってもらえない。家事もできないから、ご飯は陽彩が作る。

 陽彩が抱えるのは「親子愛」という呪縛だ。親子は仲良くあるべきで、すれ違ってもやり直せる。恋人と違って世界にひとりしかいないのだから、大切にしなくてはいけない。私たちにインストールされた価値観は、血縁関係を簡単に捨てることを許さない。陽彩の母親は、ことあるごとに「陽彩、愛してるわ」と口にする。自分は、愛されている。自分もまた、彼女を愛している。その言葉で、陽彩は母親からの愛を確認する。先の見えない生活に身も心もすり減らしながら、それでもすばらしい「親子愛」を信じているのだ。

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 そんな彼女に変化をもたらしたのが、同じ大学に通う江永との出会いだ。江永がバイト先に入ってきたとき、陽彩は無口な彼女と関わるつもりはなかった。だが、彼女に対するある噂を聞き、興味を持つことになる。なんと、江永の父親は、殺人犯だというのだ。彼女も、陽彩と同じように、親に人生を苦しめられた人間のひとり。それでも、壮絶な過去を笑い話に変えながら懸命に生きていた。陽彩の生活は、彼女と深く関わることで、大きく変わっていく…。

 代表作「響け! ユーフォニアム」シリーズ(宝島社)では、青春のきらめきと葛藤を繊細に描く武田さん。その一方、『その日、朱音は空を飛んだ』(幻冬舎)などでは暗く汚い感情からも目を背けず、綺麗なだけではない10代の心の動きを描き切る。いわゆる“白”と“黒”を使い分ける作家だが、今作は言わずもがな“黒”の魅力で読者を掴んで離さない。誰もが一言では言い表せない思いを持つ、親との関係性。陽彩の中にあるヒリついた感情が、武田さんの言葉でこれでもかと伝わってくる。「呪い」を背負った陽彩は、果たしてどんな未来を選ぶのか。これは、私たちの心に深く寄り添い、つらい現実をともに戦う小説だ。

文=中川凌(@ryo_nakagawa_7