音楽著作権管理の独占に挑戦した記録! 文化庁、公正取引委員会、規制改革・法律改正・独禁法裁判の行方

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更新日:2020/9/6

やらまいか魂 デジタル時代の著作権20年戦争
『やらまいか魂 デジタル時代の著作権20年戦争』(三野明洋/朝日新聞出版)

 私が運営していたホームページを丸々コピーしたサイトの存在を知人に教えられ相手に抗議したところ、素直に示談に応じてもらえて面倒な裁判まで進まずに済んだことがある。ただ、同じ手口の他のサイトの運営者とは連絡がつかず、調査に多額の費用がかかるため対応を断念もした。一方、作成した動画に某大手ゲーム会社が提供している背景素材を使用したら、視聴者からコメント欄で規約違反ではないかと指摘された。規約文を読み返してみると確かに違反していたため、ゲーム会社に謝罪したうえで使用許可を求めると、公式には許可できないとしながらも、動画の削除はしなくても良いというお目溢しを頂いた。

 今や誰もが著作権者となると共に、著作権を侵害しうるということでもある。そんな時代の黎明期に、主に音楽著作権の自由化を求めて戦った記録『やらまいか魂 デジタル時代の著作権20年戦争』(三野明洋/朝日新聞出版)は、語り継がれるべき一冊だと思う。

著作権の黒船に対抗するべく設立されたJASRAC

 そもそも「一般社団法人日本音楽著作権協会JASRAC」とは、いったいなんなのか。著作物の保護を目的としたベルヌ条約に日本が加盟し、著作権法が制定されたのは1899年(明治32年)のこと。そして1932年(昭和7年)に、黒船来航に匹敵する事件が起きた。欧州5ヶ国の音楽著作権団体の委任を受けたとする、ドイツ人のウィルヘルム・プラーゲ博士が、NHK(日本放送協会)に対して著作権使用料を要求してきたのだ。その金額は、女子事務員の平均月収が30円という時代に、「楽曲一曲につき最初の3分が20円、その後3分きざみで15円」という高額なものだった。

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 そしてNHK側は、月額ではなく年間7千2百(7200)円の包括契約を結ぶのだが、国内の著作権者には1千5百(1500)円しか支払っていなかったため大日本作曲家協会員らは不満を抱く。しかし、プラーゲ博士はさらなる値上げを要求するばかりか、大日本音楽作家出版者協会なるものを設立するにいたり、日本独自の音楽著作権団体を設立すべしという気運が高まって、内務省を中心にJASRACの前身である「社団法人大日本音楽著作権協会」が設立された。

著作権者自身も著作権料を支払わなければならない信託譲渡契約

 著者がJASRACに戦いを挑む原因となったのは、設立当時のJASRACと著作権者は「信託譲渡契約」を結ぶ以外の選択肢が無かったこと。この契約だと、著作権者自身がライブで歌う場合にも利用許諾をJASRACに申請しなければならないうえ、個別の利用許諾を著作権者が決定することもできないのだ。そして著者が森高千里のCD-ROMの企画を立ち上げてJASRACに申請したところ、映像での使用料規定を適用し、1曲1分につき7円と、映像その他素材の使用料まで加算してきたという。

 若い読者の中にはCD-ROMという記録媒体を知らない人もいるかも知れないが、音楽や映像だけでなく歌詞などの文字情報も一つにパッケージした商品は「マルチメディア」と呼ばれ、新時代の到来を予感させるものだった。しかし、これでは販売価格が高くなりすぎて、とても商売として成り立たない。確かに著作権法は「著作者等の権利の保護」が目的ではあるが、同時に「文化の発展に寄与することを目的とする」のには反しているだろう。

著作権法と独占禁止法

 かくして、委託によって音楽の著作権を管理する株式会社NexTone(旧イーライセンス)が設立するまでの経緯が語られるのだけれど、とにかく法律問題が難しい。例えば著作権者の権利には、複製権、頒布権、翻訳・翻案権など支分権があるのだが、JASRACは分別管理する代わりに新たに信託契約申込金を設定し、5年間の契約期間中は変更できないというようにした。つまり、JASRACから著作権者が他へ乗り換えにくくしたわけで、なにやら携帯電話事業を彷彿とさせる。

 さらには、JASRACが日本民間放送連盟とブランケット方式(包括許諾・包括徴収)で使用料を契約していたことから、放送局はイーライセンスが管理している楽曲は極力使わないようにするという対応に出た。せっかく2001年10月に「著作権等管理事業法」が施行されてイーライセンスが参入しようとしても、自由な競争はできなかったのだ。そのため著者は、公正取引委員会とも戦うこととなる。

事実は小説より奇なり

 法律に関しては解釈の問題など辟易とさせられるが、本書には法廷ドラマのような展開が目白押し。先の「著作権等管理事業法」の法案は2000年には成立するはずだったのが、小渕恵三首相が亡くなったことから次期通常国会へ見送られる。だが立ち止まってはいられないとばかりに、著者は法律が施行される前に会社を設立してしまう。それも、広告代理店の「博報堂」をはじめとし、トヨタグループの「豊田通商」や、NTT関連会社の「NTT-ME」といった強い味方を得てである。また、JASRACの中に理解を示してくれる人物が現れるも亡くなってしまったり、公正取引委員会審判廷において著者からすれば虚偽の証言をした旧知の仲の人たちが謝罪したりと手に汗握る名場面が多い。ぜひ映像作品にしてもらいたいものだ。

文=清水銀嶺