発達障害を抱える人はどのように自分を受け入れ、生きているのか? 9人の当事者の半生を描いたマンガに見る生き方のヒント

マンガ

更新日:2020/9/24

発達障害と一緒に大人になった私たち
『発達障害と一緒に大人になった私たち』(モンズースー/竹書房)

 発達障害という言葉がどれだけ社会に浸透しようとも、やはり彼らの生きる姿を目の当たりにしなければ、本当の理解はないと思う。

 そして発達障害を抱えて生き辛いと苦しむ人がいたら、『発達障害と一緒に大人になった私たち』(モンズースー/竹書房)で描かれるエピソードが、今を支える参考になればと願う。

 本書は、発達障害の当事者でもあるモンズースーさんが、ご自身を含めた9人の当事者の半生をマンガで描いたものだ。どのエピソードも困難に直面し、本人たちなりに向き合い、考え、葛藤して、乗り越える様子が読み取れる。

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 たとえば、いくさんの場合。彼女は「自閉スペクトラム症(ASD)」と「注意欠陥・多動性障害(ADHD)」を抱えていた。そのため小さい頃から人付き合いが苦手で、「自由」など“決まりのない言葉”を言われると対応できず困惑した。そのほか発達障害の人が抱えがちな困難に耐えきれなくなり、自分を責め続け、自殺未遂をした。「私の人生、終わったな…」という言葉が、いくさんの心境を端的に表している。

 何度も辛い思いをしたいくさんだったが、自身が発達障害だと気づいてADHDの薬を服用するようになった。すると生活が変わる。すべての発達障害の人が、薬を服用することで生活が変わるわけではない。しかしいくさんの場合は、副作用に苦しみつつも、仕事の業務が楽になり、以前よりコミュニケーションがとれるようになった。そのおかげで「私の人生はそこまで最悪ではないようだ」「私は私を生きて行きたい」と、心にゆとりができた様子がうかがえる。

 彼女の人生を読んで強く感じるのは、自分の居場所や生き方を、自分で見つけて、そこに深く腰を下ろす大切さだ。

 大学生のたろうさんの場合。小さい頃は友達を叩くなど、問題行動があった。中学生の一時期までは勉強に悩み、やる気をなくしてしまった。しかし理解ある母親や周囲の助けもあり、突如開眼して好成績になる。高校に行ってもそれは続いた。今は大学生になり、パソコンやアルバイトに四苦八苦しながら、社会人になるべく努力を続ける。たろうさんの半生で印象的なのは、「俺は人に恵まれている」という言葉だ。

 一方で、松ぼっくりさんの場合。両親に恵まれず、友達からいじめを受け、どこにも居場所がなかった。社会に出て美容師になったものの、同僚どころかお客さんにまで嫌われて退職。母親と同居して生活が安定したのもつかの間、母親が病気で倒れたことをきっかけに介護を強いられ、生活が困窮する。困難の連続する半生を送ったが、今は自身に発達障害があることを理解し、生活保護を受給できるようになって、自分自身を見つめるようになった。

 やはり発達障害を抱えながら生きることには、苦難がともなう。本書を読むと、より一層強く感じる。しかし自身の居場所を見つけたり、生き方に折り合いをつけたりできれば、人生が好転することもあるようだ。

 たろうさんの場合は困難に直面したが、周囲のおかげで早くから自分の居場所と生き方を見つけることができた。一方で松ぼっくりさんは、恵まれない環境が続いて長く困難に苦しめられ、自分や周囲に折り合いをつけるのに時間がかかった。いくさんの場合も自殺未遂をするほど苦しんだが、発達障害を知り、薬を服用することで、自分を受け入れながら生きている印象を受ける。「私は私を生きて行きたい」という前向きな言葉が、その証ではないか。

 これは発達障害の人に限らず、いわゆる健常者たちも同じだと思う。生きるために必要なのは、周囲と合わせることではない。無理をしてまで仕事を頑張ることでもない。どこで生きるか、どのように生きるか。そしてそれを見つける努力だ。それが人生ではないか。

 本書が、生き辛さに苦しむ発達障害の人や、グレーゾーンと呼ばれる人たちに届けばいいと思う。そして発達障害という言葉だけを知る健常者たちに、彼らの生き方を目にするきっかけになればいいと願う。

文=いのうえゆきひろ