「介護される側」の気持ちに触れて気づく大切なこととは? コータリン&サイバラの『介護の絵本』

暮らし

公開日:2020/9/19

介護の絵本
『介護の絵本』(神足裕司、西原理恵子/文藝春秋)

 40代を超えてくると、いよいよ気になってくる「介護」のこと。いざその時に、自分はどうしたらいいのか。中には雑誌の特集をのぞいてみたり、介護体験記を読んでみたり、なんとなく心の準備をしはじめる人もいるだろう。ところで、そんなときに入ってくるのは圧倒的に「介護する側」の視点が多い。もちろん、自分がその立場になった時のシミュレーションと考えれば当然だろうが、もしかしたらそこでは「介護される側」の気持ちは置き去りにされているのかも…コラムニストの神足裕司さんと漫画家の西原理恵子さんの書かれた『介護の絵本』(文藝春秋)は、そんなことに気づかせてくれる一冊だ。

 コラムの執筆だけでなくテレビやラジオでも幅広く活躍していたコータリンこと神足裕司さんは、2011年9月にくも膜下出血に倒れて失語症、左半身不随となり、現在は「要介護5」の認定を受けほぼ寝たきりの生活を送られている。とはいえ2012年からは自宅で介護を受けながらコラムニストとして復活しており、すでに著書も2冊。老人ホーム検索サイト『みんなの介護』ではコラムを連載中で、本書はその内容をまとめた一冊だ。

 タッグを組むのは『恨ミシュラン』でともにベストセラーを出した相棒・西原理恵子さん。かつては毒舌でならした2人のコンビだが、「キレイなコータリンがいて泣かされる」(さいばらりえこ)と帯にあるように、神足さんの目線はしんどい日常を描いても素直に前向きで、常に感謝と配慮に満ちている。対する西原さんはそんな神足さんをキレイな印象だけでは終わらせずに、愛ある毒イラストで容赦なくつっこむ。相手が要介護になってしまったら、いくら長年の相棒でもなんとなく接し方が変わってしまうこともありそうだが、「どんな状況になってもコータリンはコータリン」とばかりに西原さんはブレない。毒の奥にはやさしさや共感があり、どうしたって湿っぽくなってしまうこともある日々に「笑い」を生み出し、私たちはまさに「絵本」のように親しみを持って読むことができるのだ。

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「いつも誰かの助けを請わなければ生きてもいけない。けれど、生きていかなくてはならない。ならばやっぱり少しでもおもしろいことをしたいじゃないか。60歳超えてもまだまだやってないことだらけだからね。ちょっとツンツンとげを出して生きていきたい」という神足さん。新型車椅子や高級外車の介護車など最新のイケてるメカにも興味津々で、なんとなく「介護」には地味なイメージしかなかった人には新鮮だろう。そんな神足さんを西原さんは「かっこいい車大好き男子がわんわ言ってるのが聞こえる」と茶化すが、考えてみたら本人が好きなことを別に要介護だからと最初から諦める必要なんてない。むしろ私たちが当事者の気持ちを置き去りにして、勝手に「介護」に対しての思い込みを持っているだけなのかもしれない。介護される側としての神足さんの「当事者目線」は、そんなズレが何気ない日常のワンシーンにあることにも気づかせてくれるのだ。

 実は神足さんは日常生活ではほとんどしゃべることができない。とはいえ手間はかかっても意思疎通はできるし、以前と変わらない好奇心と豊かな内面世界を持っている。だが私たちは相手が「しゃべれない」というだけで、そんな事実になかなか気がつけず接し方まで変えてしまうことはないだろうか。大事なのはそんな相手の「事情」を理解して向き合うこと。相手への信頼と共感があれば、時に待ったり積極的につっこんだり、いつもと変わらないやりとりを普通にすればいい。神足さんと西原さんの絶妙なコンビネーションは、そんなシンプルで当たり前の「人づきあい」のあり方も教えてくれる。

文=荒井理恵