ワサビにまつわる日本史上の謎…日本の食文化にワサビが根付いた歴史を探る!!

文芸・カルチャー

公開日:2020/9/19

ワサビの日本史
『ワサビの日本史』(山根 京子/文一総合出版)

 刺し身を食べるとき、ワサビの使い方が論争となることがある。某グルメ漫画では、ワサビの辛味成分が揮発性であることから、醤油に溶かずに刺し身にのせて食べる方法を正しいとしている。しかし、作中の人物が師と仰ぐ実在の美食家・魯山人は、「ワサビを入れたほうが醤油の味が良くなる」としており、さらに本稿(https://ddnavi.com/news/323843/a/)でも取り上げたことのある薬学博士の船山信次氏はその著書において、刺し身にワサビをのせるとともに、ワサビを溶いた醤油につけて食べるのが最良であると述べている。そんな身近で論争の種でもあるワサビに、実は壮大な謎があるとしたら…。ワサビについて研究した『ワサビの日本史』(山根 京子/文一総合出版)という本を入手したので紹介したい。

 10年以上にわたってワサビの研究をしてきた著者によれば、研究を始めた時点では基礎研究すら「驚くほど行なわれていなかった」そうで、分類上の問題点があるばかりか、野生か栽培かを見分ける「明確な定義」さえ存在しなかったという。

DNAで分かったワサビの来た道

 2018年にようやく中国の研究グループによりワサビ属植物の葉緑体ゲノムが解読され、大陸と日本列島が陸続きだった約100万年前の氷河期に渡ってきたことが分かった。そこまでは著者も推察していたとおりだったのだが、新たな謎も浮かび上がってくる。

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 まず、世界に30種近くあるワサビ属植物の大半は中国に自生しており、その中でもっとも日本のワサビと外見が似ているシャンユサイという植物は、分類学上は別種であるうえDNAの塩基配列も異なり「全く辛くない」という。「なぜ、日本のワサビだけが辛いのか」という謎に関して、著者は「残された研究者人生をかけて挑む」とその覚悟を語っている。

日本史の中のワサビの歴史

 また、現在有名なワサビの産地は島根県・長野県・静岡県だが、大陸から渡ってきたワサビは「日本海要素植物」と呼ばれる日本海側を中心に分布する植物。なのに、どうして静岡県の有東木が「ワサビ栽培発祥の地」とされるように太平洋側にまで拡がったのかという謎がある。

 ワサビに関するもっとも古い記録は、奈良県の苑池遺構で発掘された飛鳥時代の木簡に書かれた「委佐俾(わさび)」だそうで、同じ遺構から「丙寅年六(666年頃)」と書いてある木簡も見つかっており、その他の木簡の内容からすると薬草という位置づけだったらしい。著者が注目するのは、「わさび」という呼称が1500年ものあいだ変わらずに使われている点。現在の「山葵」と漢字が異なるのは当て字だからで、漢字文化が伝来する前から大和言葉で呼ばれていたと考えられる。「山葵」の表記については、平安時代の『本草和名』という日本最古の薬物辞典に「葉の形が葵に似ているから」と説明されている。

ワサビ栽培の伝説を追って

 有東木にある石碑(平成4年建立)によると、駿府城に入城した徳川家康に山葵を献上したところ、その珍味ぶりに加え、葵の家紋に似ていることから「門外不出の御法度品」としたと伝えられている。しかし著者が調べたところでは、根拠となる文献を見つけることはできず、静岡県の歴史の編纂に関わった人たちも根拠は知らない模様。それでも、ただの伝説とは割り切れないと考えた著者は、朝鮮国から派遣された外交使節団に食材として山葵を提供したという文書について書かれた書籍を見つけたという。御法度品にしたかどうかはともかく、使節団にふるまわれた山葵を家康も口にしたと考えるのは自然であろう。

 ちなみに、『水戸黄門』第三部の第五話「掟を破った黄門さま・駿河」では、御法度品のワサビを持ち出したのが東野英治郎演じる黄門さまだ、というエピソードがあるそうだ。

ワサビが登場する「かちかち山」の謎

 物語に登場するワサビということでは、面白い謎話も載っていた。『かちかち山』といえば、お婆さんを殺したタヌキをウサギが敵討ちするお話で、背中にヤケドを負ったタヌキにウサギがカラシを薬と偽って塗るシーンを覚えている人が多いはず。ところが石川県に伝わる昔話ではワサビを塗り、しかも「傷はうずくが全快する」と記されていて「一旦傷を治している」のだ。この一旦治すことによって、もう一度ウサギがタヌキを騙して泥舟で沈めるのに成功したのかもしれない。それはさておき注目すべき点は、現在品種として利用されているワサビは大きく分けて3種類あるのだが、石川県の「白山ワサビ」のDNAがどれとも一致しないこと。では、そのルーツはどこから…? ここにも、国内におけるワサビの伝播の謎が残されている。

 もしかすると未発見の自生しているワサビそのものや、古い文献などの記録が身近なところにあるかもしれず、それらを探してみることはロマンのある話だと思う。また、料理好きであればワサビを用いた創作料理を手掛けてみるのも面白いだろう。本書には、ワサビが刺し身や握り寿司と出逢う以前、どんな料理に用いられていたかも書かれており、大いに食欲を刺激された。個人的には、酒の肴に合うものができたら教えていただきたい。

文=清水銀嶺