古市憲寿の新刊は“BL”ロマンチックストーリー。アムステルダムで出会った青年ふたりが恋をするまで

文芸・カルチャー

公開日:2020/9/19

アスク・ミー・ホワイ
『アスク・ミー・ホワイ』(古市憲寿/マガジンハウス)

 ボーイズラブ作品でデビューした漫画家・雲田はるこさんの透明感あふれる装画が表紙の『アスク・ミー・ホワイ』(マガジンハウス)。近距離で見つめ合うふたりの青年の様子には、どこか親密な雰囲気が漂う。

【今年No.1ロマンチック・ストーリー】という帯の上にある作家名には「古市憲寿」の文字。朝のTV番組で辛口コメントをする社会学者、あるいは2回連続で著書が芥川賞候補になった、どちらかというとリアリスチックな印象がある、あの古市氏である。

 本作は「ニュースにはいつも続きがない」という一文からはじまる。あれだけ世間を騒がせたスキャンダラスなニュースの数々は、その後どうなったのか。世間はすぐに新しい事件に目を奪われて、ひとつ前の事件を忘れていく。そんな世間にはうんざりだと言わんばかりの書き出しは、なんだか朝のTV番組で見かける著者っぽさが滲んでいて、妙に説得力がある。

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 毒を吐く古市氏を思い浮かべて、くすっとしたのも束の間、さらにページをめくると、一瞬にして、淡く美しい世界に惹きこまれる。

 舞台は異様な寒さに包まれた2月のオランダ・アムステルダム。主人公で語り部である「僕」ことヤマトは、日本から一緒に移住してきた彼女と別れて以来、ただ何となくの毎日を過ごしていた。浮気をして自分から離れていった彼女をふと思い出しては憎しみを覚え、先への夢や希望もないまま、日本料理店でぐずぐずと働き続けている。

 そんなヤマトの日常に、突如現れたのが「港くん」だ。彼は日本で人気俳優として活躍していたが、違法薬物とゲイ疑惑により、芸能界を引退。世界中を転々としていく中で、アムステルダムに流れ着いた。港くんがアムステルダムで生活をするためにヤマトが手を貸したことで、ふたりの交流がはじまっていく。

港くんは近くにいる男たちや女たちに次々とキスをしていく。相手は誰でも構わないようだ。あの日のキスにも大した意味がなかったとわかって少し悲しくなる。その悲しくなった自分にも笑えてきた。別に港くんに恋愛感情を抱いているわけでもないのに。男とか女とか関係なしに、誰かの特別になるのはきっと居心地がいいのだろう。(p.94)

 本作は大きな事件が起こるわけでも、雷に打たれたような急展開が待っているわけでもない。ひと言でいうと、ヤマトが港くんを好きだと自覚するまでの話だ。そして、スキャンダルで人生を狂わされた港くんも、ヤマトから受け取る優しさで癒されていく。

 アムステルダムで、ふたりの時間と言葉を重ねていくなかで、ヤマトは「港くんだから好きだ」と自覚していく。港くんが元芸能人で端正な顔立ちだからでも、自分が何回生まれ変わって働き続けても稼げないような貯金を持っているからでも、異国の地で親しくなった日本人だからでもない。自分が作った料理を喜んで食べてくれたり、弱い部分を見せてくれたりした「港くんだから好き」なのだ。

 そして本作は「誤解」がキーワードになっている。言葉が足りなくて真逆の印象を持たれてしまったり、1枚の写真でありもしないことを噂されてしまったりなど、誤解をきっかけに、何かがうまくいかなくなった経験は誰にでもあるだろう。そしてどうしても誤解を解きたいと必死になった、そんな相手や出来事の間には、愛があったはずだ。本作でも、そんな誤解がふたりの関係を動かしていく。

 本作は、いわゆるBLだ。そういうと、ジャンル的に読もうかどうか悩まれる方もいると思うので、なんだか、もどかしい。古市氏はこんなに柔らかく、優しい雰囲気の作品を描くのかという新鮮な驚きもあったし、料理小説だと言わんばかりの丁寧な食描写の連続で、読んでいてお腹が空いてしまうような魅力もある。

 恋する相手の性別云々を抜きにして、特別な誰かと見る景色、甘酸っぱいやりとりで幸せな気持ちに浸らせてくれる作品だ。

文=ひがしあや