東大なんか入らなきゃよかった…表には決して出てこない悲劇的なエピソード集「裏の東大本」

社会

公開日:2020/10/13

東大なんか入らなきゃよかった
『東大なんか入らなきゃよかった』(池田渓/飛鳥新社)

 日本の知の最高峰にある東京大学。ここに入学して、無事に卒業できた者は、一流企業や政治の中枢・キャリア官僚など、さまざまな成功が約束されている。東大に入ることは、人生の幸福を手にしたも同然。だから日本中の子どもたちが東大を目指して猛勉強する。

 ――というのは、東大を深く知らない人が持つイメージだ。この本を目にした読者は、東大生やその卒業生に対するイメージがガラリと変わるはずである。

 東大卒業生で書籍ライターの池田渓さんは、自身の経験や同じ卒業生たちへの取材を重ねて、『東大なんか入らなきゃよかった』(飛鳥新社)の冒頭でこのようにしたためた。

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東大は人生の幸福を決して約束などしてくれない。

むしろ逆に、東大に入ったある種の人間は、東大に入ったがゆえにつらい人生を送るはめになる。個人的な感覚では、「人生がつらくなってしまった人の方が多いのではないか?」とさえ思う。

 本書は、決して表には出てこない東大卒業生の「悲劇的な現実」を世に知らしめる「裏の東大本」である。執筆にあたって池田さんが「少々胸焼けがするほど」と記したように、読み進めた私も思わずムカムカと胃が痛くなってしまった。

東大の留年率が例年20%を超える理由

 本書を読んで興味深いのは、東大には大きく3種類の学生がいることだ。第1のタイプが、集中力と頭の回転が桁外れの「天才型」。なんでも普通の人の半分の時間で完璧にこなしてしまう正真正銘の「頭脳明晰な東大生」だ。世間が抱く東大生のイメージは、主にこのタイプが当てはまるだろう。

 第2のタイプは、勉強熱心でコツコツと物事を成し遂げる「秀才型」。小学生の頃から、同級生が遊ぶ姿をしり目にコツコツと勉強を続け、東大入試をパスした努力家たちだ。彼らも堅実性と優秀さを兼ね備えており、池田さんの感覚では東大の半数以上を占めるらしい。

 そして問題となるのが、東大入試をテクニックでクリアした第3のタイプ「要領型」だ。詳細は本書に譲るが、東大入試には必勝法ともいうべき勉強戦略と解答戦略が存在する。これらを徹底して身につけることができれば、天才や秀才じゃなくても、東大に入学できてしまう。

 東大は日本の知の最高峰だ。これ以上の大学は存在しない。つまり要領の良さでギリギリ入学できた者と、世界クラスの頭脳を持て余してふらりと入学した者が同じ場所で身を寄せ合うことになり、その優劣が如実に表れる。

 東大特有のシステムに「進学選択(通称・進振り)」がある。一般的な大学では、入学と同時に学部や学科も決まっている。ところが東大では専門課程に進学する3年生になって、はじめて学部や学科が決まる。これが進振りだ。

 その詳しいシステムは本書に譲るとして、進振りは2年生前期までの成績の高い順に内定していく。言い換えれば、東大生は全国の学生たちと激しい受験戦争を勝ち抜いた後、今度は日本最高峰の同級生たちとさらに熾烈な学部争いを繰り広げることになる。それは東大入試よりはるかに険しいものだ。当然要領だけで東大に入学した第3のタイプは、優秀な学生たちに成績で負けることが多く、希望の学部に入れずどんどん落ちこぼれる。

 読者は東大の留年率をご存じだろうか? なんと例年20%を超えている。日本の大学の中でも突出して高い数字を出してしまう裏には、東大特有の環境とシステムが深く関わる。

毎年、進振りによって子どものころからずっと抱いていた夢を絶たれる学生は大勢いる。東大に入ったがゆえに、望んだ形で社会に出られないということが起きるのだ。

許しがたい「東大いじめ」

 ところが進振りの悲劇は、「裏の東大本」のごく一部でしかない。これはあくまで、東大内部で起きるネガティブエピソード。本当の悲劇は、東大を卒業して社会に出てから見舞われる。

「死にたい」

「仕事がつらすぎる。ストレスがすごい。勤務中は常にプレッシャーを感じていて息がつまる。意地悪な先輩もいる」

「よし、会社行こ! 自殺はいつでもできるし! 電車を止めたらごめんね」

 これは池田さんが、友人の加瀬さんと深夜に行ったうつLINEトークの一部だ。加瀬さんも同じく東大卒で、一流企業のひとつ、メガバンクに入社した。ところがその職場に通うことがあまりにつらく、ある時期だけ、池田さんとうつトークを定期的に行っていた。

 ブラック企業とうつは、もはや周知された社会問題。卒業した大学に関係なく誰でも起こりうる。しかし加瀬さんが苦痛に感じていたのは、メガバンクの業務だけではない。もうひとつの社会問題「社内いじめ」。それも、慶應卒の先輩から嫌がらせを受けて、心身ともに疲弊してしまったのだ。

「偏見と言われるだろうけど、慶應卒には東大卒を目の敵にしている人が多いように俺は思う。慶應って『私学の雄』とされているけど、東大卒の前ではそのプライドが傷つくのか、彼らからは常に敵意のようなものを感じるんだよね」

 このような「東大いじめ」は、往々にして起きている現象なのだろうか。池田さんのサークルの後輩・吉岡さんは、地元の就職先で同じく社内いじめに遭った。

 兵庫県の市役所職員になった吉岡さんは、初出勤の日に先輩から「東大生なんやから見てたら分かるやろ」と言われ、指導を受けるどころか、1週間ほど誰からも話しかけてもらえず、完全に放置されてしまう。にわかに信じがたい。

「原因はハッキリしています。ぼくの直属の上司と部内の先輩です。その人たちは関西大学の出身で、それまで職場では『高学歴で頭がいい人』として周囲から持ち上げられていたんです」

 ところがある日、東大卒の新人職員が職場に入ってきてしまったのだから、彼らのメンツは丸つぶれ。その人たちはすっかりすねてしまった。だから吉岡さんにつらく当たり、仕事でミスをしたり「できない」と告げたりすると、鬼の首を取ったように喜ぶ。悪質極まりない。結局、吉岡さんは市役所職員を退職した。

 とうてい許しがたいこれらの事例は、差別にあたるのではないか。自分の心の中の、妬みの感情を抑えつけられず、彼らの人柄に触れる前から「東大卒」というレッテルを貼りつけて、一方的な嫌がらせに及ぶ。どうにも胃がムカムカとしてくる。

 もちろんすべての東大生がこのような目に遭うわけではない。しかし決して稀な事例というわけでもない。厳しい現実が東大卒業生に待ち受けているからこそ、池田さんは同じ思いをした彼らとこのように語り合う。

「東大なんかに入るもんじゃないよね」

 本書では、このほかにも東大卒業生に待ち受ける悲劇的なエピソードを取り上げる。たとえば勝ち組と称される「キャリア官僚」に就いた川上さんは、とても人間とは思えないハードな日々を過ごすことになる。国会議員や官邸からのパワハラまがいの指示をこなし、国益を無視した野党議員の「官僚つぶし」で疲弊し、睡眠時間と寿命を削って今も働き続ける。川上さんのエピソードを読んで、私は国会議員を心底軽蔑した。

 また大学院に進学し、修士課程を経て、博士課程でつまずいてしまった前島さんのエピソードも、心情を察するに余りある。彼女はすでに30代。しかし博士号は取れそうにない。せっかく東大に入ったのに、彼女の人生に暗雲が差している。なぜこうなったのか。このエピソードを読むと、大学教授という存在と質に大きな疑問を抱く。

 本書は、決して表には出てこない東大卒業生の悲劇的なエピソードを世に知らしめる「裏の東大本」だ。ぜひ一度目にしてほしい。彼らの知られざる姿がここにある。日本一の大学に通う学生たちの未来を、このままにしていいわけがない。

文=いのうえゆきひろ