進化は都市の中で起こっている!? 街に合わせて変わっていく生物たちの“都市型生態系”とは

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公開日:2020/10/14

『都市で進化する生物たち: “ダーウィン”が街にやってくる』
『都市で進化する生物たち: “ダーウィン”が街にやってくる』(メノ・スヒルトハウゼン:著、岸 由二:訳、小宮 繁:訳/草思社)

 長年放置されていた池の水を抜いて、本来棲んでいない外来種などの生物の捕獲や駆除をし、不法投棄されたと思わしきゴミを片付け、きれいな水に入れ換えるテレビ番組が好評だ。環境省においても、法律にもとづいて特定外来種による生態系等への被害を防止する目的で防除を行なっており、自然保護のためにはそれが国際的な常識のようにさえ思える。しかし、『都市で進化する生物たち: “ダーウィン”が街にやってくる』(メノ・スヒルトハウゼン:著、岸由二:訳、小宮繁:訳/草思社)を発見した私は、その内容に衝撃を受けた。大げさに云えば、「エウレカ!(我、発見せり)」と叫んで風呂から裸のまま外へと走り出しそうなくらい興奮した。自然愛好家(ナチュラリスト)を自認している著者のもとには同分野の研究者や読者たちから、怒りの電子メールが送られてきているらしい。では、その主張と研究の成果を見てみよう。

生物は都市で進化する

 本書によれば、2007年に「世界は重要な水準点を超えた」そうだ。何故なら、都市に居住する人間の数が農村地帯よりも上回ったからであり、21世紀の半ばまでには世界総人口のおよそ3分の2が都市で暮らすことになると予想されている。それはつまり、人間の活動が生態学的に最も大きな影響を持つことが確実で、「都市化以前の、崩壊しつつある生態系を守ることに躍起になってきたが、その間に、自然が将来のためにまったく新しい都市型生態系を築き上げつつある」ということでもある。

 その証拠として、幾つもの生物の進化例を詳細な研究方法とともに挙げている。スズメは野生状態で見つけられる機会を減らし、翼は短く短距離の飛行にうってつけなスタイルに。一方、トンボは水辺が点在している状態に適応するために飛距離を伸ばしている。タンポポは自身が咲いている場所に土があっても、遠くに種を飛ばした先に土があるとは限らないから、重く飛びにくいようになった種を下に落とす姿へと進化しているそうだ。

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ダーウィンが返事しなかった手紙とは?

 進化といえば、進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンの研究は外せない。その著書『種の起源』では、進化の自然選択について「いくつもの地質学的時代の長大な時間を経た後に、それは初めて確認されるのだ」と記しているのに、初版で「常に(オールウェイズ)」と強調されている部分が第5版においては「一般に(ジェネラリー)」へ変更されているという。

 そう変更した真の理由は不明であるものの、本書では一通の手紙について語られていて、これが実に興味深い。ダーウィンは受け取った手紙に書き込みをすると、切り刻んで標本のように保管しており、同様に出した手紙についても細心の注意を払って管理していたため、それを整理すると「返事を書かなかった手紙」についても分かるのだとか。「返事を書かなかった手紙」の差出人は、鱗翅目(蝶や蛾)の蒐集家として当時でも有名だったアルバート・ブリッジズ・ファーン。手紙に書かれていた内容はというと、鱗翅目の一種であるアヌレットの翅は本来は白っぽく、都市化により黒煙の煤で覆われた場所で野鳥などに捕食されていたのが、黒っぽい翅を持ったものを発見し、この変異は「適者生存」を示すのではないかと質問するものだった。この手紙が及ぼした影響もあるのだろうか。

私たちにできることと、都市のあるべき姿とは?

 ファーンは研究者ではないとはいえ、蒐集家であるとともに観察者でもあった。そして、都市に棲む生物の変化を観察している科学者は圧倒的に少ない。こういった変化の記録は貴重だ。そこで著者は、「都市進化観察スコープ(Urban EvoScope)」を作ろうと提案している。今やスマホを使えば、誰もが簡単に写真を撮って送信するまで可能だし、ちょっとした機器を揃えれば小型マイクを設置して間断なくその地の音を録音することもでき、超音波帯域幅までカバーする集音マイクさえある。それらを駆使して身近な生物の情報を寄せ合えば、研究が格段に進むことが期待できるという訳だ。

 さらに著者は、都市設計についてこんな提案を披露している。それは、「成長するに任せよ」という原則である。都市の緑化というと植樹するのが普通だが、あえて苗床を用意しても何も植えず、そこを訪れるのは「必ずしも在来種でなくても良い」とのこと。そもそも、「人々が好んで定住し、後に都市へと発展するような場所は、しばしば最初から生物学的に豊かな地域だったという事実」があり、「無垢の野生地域以外の場所における、従来の保全活動の実践(外来種を根こそぎにするような)によって、実はわたしたちは、人類の将来を支えてくれる生態系そのものを、破壊している可能性がある」からだ。訳者も、田園風景は稲を筆頭とする外来種を主体として人の手により作り上げられたもので、それが「日本的自然の象徴と広く評価」されていると指摘している。田畑の害となる雑草や昆虫などは、都会でこそ生きることが可能なのだ。

 蟻の中には、アリマキ(アブラムシ)を家畜のように飼育して分泌液を採取したり、食用のキノコを栽培したりするものもいて、それを自然の営みとして賛美するのに、どうして人間が同じことをするのを忌諱するのか。そこに人間の痴がましさ、傲慢さを見た気がする。

文=清水銀嶺