「かかを産みたかった。かかをにんしんしたかったんよ」史上最年少で三島由紀夫賞を受賞した宇佐見りんが『かか』で描き出す母娘の姿

文芸・カルチャー

公開日:2020/11/1

かか
『かか』(宇佐見りん/河出書房新社)

〈みっくん、うーちゃんはね、かかを産みたかった。かかをにんしんしたかったんよ。〉――小説『かか』(河出書房新社)の一節だ。かか、とは「おかあさん」のこと。19歳、浪人生の“うーちゃん”がかかについてひとり語りしていく同作を、執筆した当時、宇佐見さんも19歳。最年少での三島由紀夫賞受賞が全会一致で決まったのは、母を産みなおしたいと願う少女の魂の叫びを描いた、読む者の心と肉体に痛切に刻むような文体と、ほとばしる感受性ゆえだろう。

 かかは、自分の母親から「(姉の)おまけで産んだ」といわれて育ち、夫には浮気をくりかえされて離婚した。早逝した姉の娘をひきとれば、母は目に見えて彼女をかわいがる。心の救いは“えんじょお(天使)”さんである子供たちだけだが、娘であるうーちゃんいわく、かかは〈つけられた傷を何度も自分でなぞることでより深く傷つけてしまい、自分ではもうどうにものがれ難い溝をつくって〉しまった。だから今は、自分のために泣いて家族にあたりちらしてばかり。そんなかかをうーちゃんは、誰より愛しながらも憎み、かかのようになりたいと思っていたはずがしだいに、誰のかかにも嫁にもなりたくないと思うようになっていく。

 そんな経緯が、“おまい”に向かって語られていく。“おまい”というのはときどき名の出る“みっくん”のことで、読んでいるうちに、うーちゃんの弟なのだとわかる。うーちゃんは、母が手術することになった前日、家のことを放り出してひとり旅に出た。その理由――“かかを産みたかった”というのがどういうことかを、弟に語って聞かせているのだ。

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 どういうことだ、とみっくんじゃなくても思うだろう。うーちゃんの話はあちこちに飛ぶので、なかなか要領を得ないのだが、ちらばった彼女の記憶と想いをかき集めていくと、しだいに浮かび上がってくるものがある。

 母親は、あたりまえだけど子供より先に生まれ、長い時を生きている。苦しんでいるらしい母親に、もっとこうしたらいいんじゃないか、こういう考え方もあるよ、といくら言ってみたところで、年月をかけて築きあげられた価値観はそう簡単に変わらないし、損なわれ続けてきた心の穴も埋まらない。だから、うーちゃんはかかを“最初”に戻してあげたいと願うのだ。

 うーちゃんが生きてきて〈いっとう、がまんならんかった〉のは〈孕まされて産むことを決めつけられるこの得体の知れん性別であること〉であり、それはかかをはじめとする女たちが、セックスを通じて心と肉体を削りとられていく現実を知っているからだ。だから、葛藤する。〈うーちゃんはどうして、かかの処女を奪ってしか、かかと出会うことができなかったんでしょうか〉と。かかの“えんじょお”だったはずの自分が、かかを損なう一因になっていたことにも気づく。だから、かかを妊娠し、傷つく前に戻してあげたいと切に願った。ほかに、ねじれた現実を解消するすべが、どうしても見つからなかったから。

 一方で、うーちゃんもまた生まれ直したかったんじゃないか、と思う。傷ついて傷ついて倦んだかかの痛みをとりのぞき、すこやかに、本来の姿に戻ったかかからもう一度生まれ、優しくいつくしみあう関係をゼロから紡いでみたい、と思ったんじゃないだろうか。それはすなわち、愛したい、ということだ。かかを、心の底からもう一度、一点の曇りもなく愛したい。苛立ったり憎んだり軽蔑したりすることなく、心に根をはった愛情を大切に育ててみたかったのではないだろうか。

 娘にとっての母は、守護であり、呪いでもある。愛さずにはいられない、でもだからこそ憎んでしまう。そのはざまで、うーちゃんはどうすればかかと自分を救えるのか、懸命に考えていたんじゃないかと思うと、咽喉の奥がぐうっと鳴った。……その解釈が正しいかどうかは、わからないけれど。

文=立花もも