感染症との闘いが、人間同士の争いに?『ロビンソン・クルーソー』の著者が約300年前に書いたペスト禍の物語

文芸・カルチャー

公開日:2020/10/31

新訳ペスト
『新訳ペスト』(ダニエル・デフォー:著、中山 宥:訳/興陽館)

 新型コロナウイルスによって世界中が混乱する中、『ペスト』というタイトルの2冊の本が、まさに現在の状況を彷彿させるとして話題になった。1冊は、『異邦人』を著したことで有名なアルベール・カミュの作品だ。1947年に出版されたその作品は文学性に富んでおり、不条理な疫病に襲われた人間の本質に迫るとともに、神は存在するのかという哲学的な命題を読者に問いかける。一方、もう1冊がこの『新訳ペスト』(ダニエル・デフォー:著、中山 宥:訳/興陽館)だ。著者が本作の前に執筆した『ロビンソン・クルーソー』は、“主人公自身が執筆した”というスタイルで世に送り出されて人気を博した。

 本作が出版されたのは1722年なのでカミュの作品よりも約200年前、現在からは300年近く前の作品だ。ペスト菌の正体が日本の細菌学者の北里柴三郎らによる研究で明らかになるのが1894年なため、訳者は何度も「菌」という言葉を使いかけては、原著に照らし別の言い回しにするよう心がけたという。そんな時代に書かれた本作がカミュの作品と最も異なるのは、出版の前年にフランスでペストの流行の兆しがみられ英国でも不安が高まったことから、その50年ほど前にロンドンで流行した際の実情を伝えるために執筆した点にある。

 私自身は作家が不祥事を起こして作品の流通が自粛される事態になると、作者の私生活と作品の評価は別物であることを標榜しているのだが、作品に作者の経験が現れることについては注目している。本作においても、作者の経歴が活かされたであろうことは想像に難くない。というのもデフォーはジャーナリストであるとともに、スパイとしてスコットランドに潜入し、イングランドとの合邦に寄与したとされ、それが現在の英国の礎になったと語り継がれている人物なのだ。

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 先に書いたように舞台は執筆時の約50年前、1665年のロンドンで、当時の作者はまだ5歳の子供。また、本作の最後に記されている主人公である“私”のイニシャルは「H.F.」となっている。つまり、本作もまた『ロビンソン・クルーソー』と同じ手法を用いており、訳者は主人公について伯父のヘンリー・フォーをモデルにしているのではないか、もしくは伯父の2歳年下が作者の父親であることから、伯父と父親の手記や言動を融合させたのではないかと推測している。そうなると、あくまで小説だとしても内容の信憑性が問われるかもしれないが、そこは執筆目的に沿ったジャーナリストとしての手腕がいかんなく発揮されており、文学性と実用性を見事に両立させていることに、むしろ驚くばかりだ。

 作者が執筆した時点で半世紀前のことを、主人公は「人類のあらたな発明や発見によって苦境を打開することもできなかった。後日の世界とは違う」というように体験談として語り始める。本文内ではロンドンの各地区での死者数を箇条書きで記しており、現在のニュースなどで新型コロナによる感染者数が速報される不気味さと重なる。また、そんな無味乾燥な情報の裏側に隠れている人間模様がまた、後日の世界となんら変わらないのは皮肉だ。都市封鎖を恐れたロンドン市民が地方へ脱出しようとすると、地方部の住民は「ロンドン市民め、無理やり押しかけてくるな」と追い返し、ロンドン市民は「町や村に入ることさえ断るとは!」といがみ合うなどという又聞きの話も、なにやら既視感がある。ただし、このようなやり取りについて主人公が「どちらも都合よく誇張していて、真実を正しく表すとはいえない」と、世間の噂話と距離を置いているのがこの作品の静的な魅力に思えた。

 では、事態を高所から眺めているような人物かというと、早々に引っ越しを決めた宮廷(今の日本なら上級国民という呼び方になるだろうか)について、病魔が指一本触れないかのように宮廷人から患者が現れないことに対して「神に大いなる感謝を捧げたとか、多少なりとも改心したとかいう気配は、まったくなかった」などと評し、庶民の視点も忘れない。それどころか主人公は、都市を脱出するための馬を借りられなかったり、先に奉公人が逃げてしまったりしたことを「神の思し召し」だと考え、それを信心深いはずの兄にすら「些細な出来事を神の思し召しだと考えるのは、ばかげている」と説教されるような、どこにでもいる普通の人として描かれているから、読んでいて親しみのある存在に感じる。

 とはいえ同時に作者の危機意識は高く、幾つもの警句が物語に織り込まれている。例えば「警告を受けていたにもかかわらず、食料などの必需品を蓄えておこうとしなかった。あらかじめ蓄えがあれば、外出を控え、家にこもって生活できただろう」という教訓。また、「世間に恐怖をまき散らしておかないと、占い師はすぐに用済みになり、店じまいに追い込まれてしまう」からそのような人物の言説に惑わされないこと、さらに「根拠の薄いばかげた怪しげな事柄に数限りなく手を出す」人々や、それを利用しようとするあくどい連中について気を付けることなどだ。

 そして作者は物語の終わり近くで、主人公にこんな思いを吐露させている。

「疫病の流行が終息したとき、いろいろな揉め事や中傷、ののしり合う下劣な根性などもついでに消えてくれれば、どんなに良かったか。」

文=清水銀嶺