“天然塩”“VTRの演出”…「本物と偽物」の線引きとは? 物事の価値と真価を問う問題作

文芸・カルチャー

公開日:2020/11/21

ホンモノの偽物
『ホンモノの偽物』(リディア・パイン著,菅野 楽章訳/亜紀書房)

 最近になって、「天然塩」や「自然塩」といった用語が塩関係の業者において使用を禁止されていることを知った。調べてみたら、2008年に消費者へ公正かつ正直な商品表示を行なうために設けられた「食用塩公正競争規約」で定められているという。なるほど確かに、天然の海水を用いたとしても濃縮する段階で人の手が加わるし、自然の鉱床から採掘される岩塩も粉砕したり洗浄したりするのだから、野草を摘んだかのように呼ぶのはおかしな気がする。そんなことを考えていると本の神様が引き合わせてくれるのか、単に似たような問題に関する本が目につきやすくなるだけなのか、『ホンモノの偽物』(リディア・パイン:著、菅野楽章:訳/亜紀書房)に出逢った。

 序章に古代ローマの風刺家ペトロニウスの「世界は欺かれることを望んでいる。ならば欺かれるがよい」という言葉を引用している本書には、八編(+序と結の二編)の物語が載っている。そのいずれも著者によれば、「真正性に関する問いかけをかき立てるもの、単純明快な答えがないと思うものを選んだ」とのことで、読者はその迷宮に引き込まれ、否応なく自身の考え方や価値観を試されるだろう。

コレクターは由来の確かな贋作を求める

 18世紀の終わり頃、稀代の劇作家ウィリアム・シェイクスピアの戯曲が、ウィリアム・ヘンリー・アイアランドなる人物によって「発見」された。もちろんそれは偽物で、のちに彼自身が告白した真相の中の手口は、繊細にして大胆。「シェイクスピアの署名入り」とされていた証書は、17世紀に流通していた紙を入手し、インクに酸を加えて泡立たせ古さを装い贋造。そのうえ、シェイクスピアが自身の名前を様々な綴りで署名していたのと同じように、異なる綴りを用いることによって信用を高めたという。

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 そして面白いのは、偽物だとバレてからのこと。なんと彼は、シェイクスピアに関する「自らの贋作を贋造」すると、それを「ホンモノの偽物」として売ってしまうのだ。かくして彼について書き記す伝記作家まで現れ、今日では彼の作った贋作はオークションで数百ポンドの値が付く収集価値のある物となっている。中には、真正のシェイクスピアの持ち物に彼が「ウィリアム・シェイクスピア」と署名した物まであるというから恐れ入る。

人造ダイヤモンドは永遠の輝き

 古来よりダイヤモンドは宝石として珍重されてきたが、高価であるがゆえに裕福な貴族だけが身に着ける物だった。ところが1888年に英国人によって南アフリカで設立されたデビアス社が、第二次世界大戦後に「ダイヤモンドは永遠」というキャンペーンを張って、ダイヤモンドの婚約指輪を中流階級層に普及させることに成功する。著者はその商法を、「宝石に感情的な意味を吹き込むという巧みな方法を見出した」と評している。アイアランドの贋作が価値を持ったように、人はとかく物語を好むということだろうか。

 ダイヤモンドには、天然のダイヤモンドに対して化学的に製造された人造ダイヤモンドがあるわけだが、その開発の歴史は実に興味深い。18世紀には「炭素(の結晶)」であることが科学的に分かったものの、人工的に造るには高温かつ高圧力の環境を作り出せる施設が必要だった。19世紀に初めて成功したとされた人造ダイヤモンドは現在、人造を騙った天然の「本物」だったと結論づけられている。この場合、人造でなければ価値など無いのだ。しかし21世紀の今日では簡易な製法が編み出され入手しやすくなり、「愛する人の火葬された灰をダイヤモンドに変える」なんてことも可能となった。遺族にとっては、どんなダイヤモンドよりも価値があるであろう。

見たものを真性だと錯覚してしまう人間の性(さが)

 人が物語を好むとしても、嫌われる分野がある。その一つは、映像記録媒体で撮影されたドキュメンタリーだ。

 2011年にBBC(英国放送協会)で放送された番組の中で、妊娠したホッキョクグマが北極の荒野を歩き回って出産のための巣穴を見つけ、出産後に子グマに寄り添うシーンが流れた。だがのちに巣穴の中のシーンは、ドイツの動物園で撮影された映像だと判明し、視聴者から大きな非難を浴びることとなった。野生生物のドキュメンタリーは科学と環境の問題を理解するのに重要と考えられ、昨今は台本の存在しないライブストリーミングが人気となっているから、なおさら視聴者は騙されたと憤慨したのだろう。しかし過酷な自然環境で撮影するためには、命の危険もある。学ぶのが目的ならば、CGを駆使した映像だって充分に役割を果たすはずだ。

 一方、同じ北極圏に生息するレミングの「集団自殺」は、近年の生物学では否定されている。この説が世界に広まったのは、1958年に公開されたウォルト・ディズニー社の記録映画『白い荒野』が一因となったようで、カメラワークと編集によってそう見えるよう演出されたものだったという。実際に子どもを産んだホッキョクグマの撮影場所が北極ではなかったことに憤り、本物のレミングの映像を目にしながらも演出された偽りの話を信じる人間の性に愕然とする。

「天然は良い」「人工は悪い」とか「本物は正」「偽物は悪」という考え方は表裏一体のようだが、本書を読むことでより混沌とした分離不可能で複雑な関係にあることが分かるとともに、むしろ訳が分からなくなった。この不思議な読書体験を、本稿の読者にも愉しんでもらいたい。

文=清水銀嶺