偏差値が高ければ人は幸せになれるのか? アフリカ出身・サコ学長がもつ日本教育の違和感

文芸・カルチャー

公開日:2020/12/5

アフリカ出身 サコ学長、日本を語る
『アフリカ出身 サコ学長、日本を語る』(ウスビ・サコ/朝日新聞出版)

 今注目の教育者といえば、京都精華大のウスビ・サコ学長だ。日本初のアフリカ出身の学長である。マリ共和国出身ながら、2000年に京都大学で博士号を取得、13年に京都精華大学人文学部の教授・学部長に就任した。18年より同大学学長を務め、日本の大学教育の最前線で活動している。

 日本とは全く違った文化圏で育ち、同時に日本の教育の実態を知り尽くすサコ学長。彼の目には、日本教育への違和感が映っている。本書『アフリカ出身 サコ学長、日本を語る』(ウスビ・サコ/朝日新聞出版)は、サコ学長の生い立ちを振り返りながら、同時に日本という国の姿を客観的に見ることができる。

「社会で使えるかどうか」が判断基準の日本教育

 サコ学長が本書で大きな違和感を示すのは、日本の偏差値教育だ。私たち日本人は、未だに「いい大学、いい会社に入れば幸せになれる」教から抜け切れず、親も学校も一丸となって「社会で使える人間」を育てる。しかし当然、ここから零れ落ちてしまう生徒もいる。今の教育には、その受け皿がない。

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 サコ学長は、日本ほどの先進国ならば、「目標教育」であるべきだと語る。「自分にとっての幸せとは何か」を考え、「何になりたいか」「何をやりたいか」を軸に、受ける教育を決めていく。私たちの人生のゴールは、「社会で使える人間になること」ではない。教育は、自分の幸せな人生のためにあるべきだ。

マリでは親が学校を辞めさせる

 サコ学長がこういったことを考えるのはなぜか。本書にマリについての印象的なエピソードがある。日本では、親が子供に「勉強しなさい」と言い、偏差値を上げていい学校に入れようとする。だが、マリは違う。

 なんと、親が子供に学校を辞めさせることがあるという。教師に賄賂を渡し、わざと成績を悪くして、退学する…。マリでは、「学校教育を受けて成長することは、必ずしも人間の最適な人生ではない」という考え方があるらしい。このエピソードは、私たちにも教育の意味を強く問いかける。

 日本の社会で生きていると、やはり気づかぬうちに日本的な価値観に染まっている。本書でアフリカや他の国の価値観に触れると、いかにそれが特殊なものかを意識させられた。単純な良し悪しでは語れないが、身近な世界の空気が絶対のものではないことは意識しておきたい。本書ではさらに、いかにしてサコ学長が日本にやってきたかや、日本がコロナ時代をどう乗り越えていくべきかにも切り込んでいく。他の本とは違う外の視点から、日本の今を考え直してみては。

文=中川凌(@ryo_nakagawa_7