東日本大震災によって引かれた“境界線”。行方不明者の個人情報売買をめぐる慟哭のヒューマンミステリー!

文芸・カルチャー

公開日:2020/12/16

境界線
『境界線』(中山七里/NHK出版)

 デビュー10周年を迎えた2020年、12ヵ月連続で新作を刊行するという前代未聞の離れ業をやってのけた中山七里氏。フィナーレを飾る『境界線』(NHK出版)は、映画公開間近の『護られなかった者たちへ』に続く「宮城県警」シリーズ第2弾だ。前作に続き、いや前作以上に、東日本大震災の爪痕が生々しく描き出されていく。

 2018年5月、宮城県警捜査一課刑事・笘篠誠一郎のもとに、「気仙沼の海岸で女性の変死体が発見された」との一報が入る。身分証に記された名は「笘篠奈津美」。7年前、東日本大震災で行方不明になった妻と同じ名前だった。前夜まで生きていたという彼女は、本当に笘篠の妻なのか。身元確認のため、現場に急行した笘篠が目にしたのは、まったく別人の遺体だった。ならば、この女性は何者なのか。なぜ妻の名を騙って生活していたのか。やり場のない怒りを抱えながら、笘篠は捜査にのめりこんでいく。

 さらにその翌月、仙台市内で変死体が発見される。その男性もまた、震災で津波に呑まれた人物の名を騙って暮らしていたらしい。ふたつの事件の共通点は、行方不明者の個人情報が悪用されていること。情報を売買しているのは、一体何者か。笘篠は部下の蓮田とともに、ある名簿屋に聞き込みに行くが……。

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 前作をお読みの方なら、「もしや」と思うかもしれない。そう、この名簿屋は『護られなかった者たちへ』に登場した五代良則だ。前作でも読者に鮮烈な印象を残した五代だが、本作では前作以上に存在感を発揮し、中盤以降は事件に大きく関わっていく。予備知識がなくてもまったく問題なく作品に入り込めるが、前作を知る人であれば五代をめぐる物語を、より感慨深く見届けることになるだろう。

 やがて明かされるのは、東日本大震災で運命を分かたれた者たちの悲劇。作中では、震災によって引かれたいくつもの残酷な“境界線”が描かれていく。被災地に暮らす者とそれ以外の土地に住む者では、震災に対する温度差がある。さらに言えば、同じ被災地に暮らしていても、多くを失った者と何も失わなかった者がいる。家を流された者と堅牢な壁で護られた者。家族を失った者とそうでない者。大事なものを失って、変わった者と変わらない者──。

 未曽有の災害に直面すれば誰しも足元が揺らぎ、境界線の向こう側にふらりと倒れこみかねない。境界線を越えた者と越えなかった者の違いは、どこにあるのだろうか。見えない境界線を前にした時、果たして自分は踏みとどまることができるのか。そう自問せずにいられない。

 2021年、東日本大震災発生から10年を迎える。だが、今なお2500人を超える行方不明者がおり、被災者の痛みも消えてはいない。復興への歩みはこれからも続いていく。そして、この地に暮らす人々の人生も続く。最後のページをめくり終えたあと、笘篠の、そしてある人物の心に平穏が訪れることを願い、そっと目を閉じた。これは、痛みと喪失を抱える人に捧げる祈りのような一冊だ。

文=野本由起