学問の神様「菅原道真」を怨霊にしたのはインフルエンザ!? 疫病と宗教の密接な関係

社会

公開日:2020/12/8

疫病vs神
『疫病vs神』(島田裕巳/中央公論新社)

 新型コロナウイルス感染拡大の落ち着きが見えない。収束のタイミングは神のみぞ知るのかもしれないが、私たちがいくら祈っても、神は口を開いてはくれない。

 実は、疫病と神は密接な関係にある。「疫病が流行したから宗教が生まれた」の一文から始まるのは、『疫病vs神』(島田裕巳/中央公論新社)。長い歴史の中で人類、特に日本人がどのように疫病や病と闘ってきたかをまとめている。

 科学や医学が発達していなかった時代には、疫病の正体を知るべくもない。そもそも、細菌やウイルスの存在すら知られていなかった。その時、日本人は恐怖におののきながら、疫病そのものを神として祀った、と本書は述べる。

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 日本書紀に次ぐ第二の正史『続日本紀』に記録された疫病の流行を見ると、文武天皇2年にあたる698年から790年までの間だけでも疫病の流行が38回、大流行が11回もあったようだ。本書に登場する論文によると、49回の流行のうち35回は春、夏、秋などその季節だけに限定して流行った。論文は、その原因について、水田を耕作したり、河川や池からとれる魚や貝を食べたりしたことによる寄生虫病か、赤痢を含めた消化器系感染症ではないかと推測している。

 流行の残りは大流行だ。これは疱瘡(天然痘)といった呼吸器感染のウイルスによるものだとしている。天然痘の大流行が最初に起こったのは、735(天平7)年から2年間。時の聖武天皇は、とてつもない力をもつ宇佐の八幡神の託宣を得て、疫病を収めるために東大寺の大仏を建立した。感染症は、流行期間が長期にわたるかもしれないし、何度か山谷があるかもしれないが、いつかは必ず終息に向かう。しかし、人々には「恐ろしい神であるほど、正しく祀れば厄災が鎮まり、おろそかにすれば恐ろしい祟りがもたらされる」と信じられ、日本人は神に恐れを抱きながら、熱心に祀るようになる。

 国際化は文化や芸術、技術などの流入とともに、感染症も招き入れる。仏教の伝来とともに天然痘が、幕末にはコレラが国内で流行した。そのたびに、人々は神に無心に祈り、神の権威がますます高まっていった。

 受験生にとっては、受験直前の大切な冬がやってくる。本書は、学問の神様と崇められる菅原道真を怨霊とした咳病の正体はインフルエンザではないかと述べている。よく知る身近な神様が、どこかで疫病と繋がっているかもしれない。本書で探ってみるとおもしろそうだ。

文=ルートつつみ(https://twitter.com/root223