飲食店で店員さんに「すいませーん」が気づいてもらえない! “通る声”を目指す悪戦苦闘ルポ

暮らし

更新日:2020/12/9

声が通らない!
『声が通らない!』(新保信長/文藝春秋)

 居酒屋で店員さんを呼ぶのが苦手だ。声が小さく、通らず、気づいてもらえない。

『声が通らない!』(文藝春秋)は、新保信長氏によるルポルタージュ。声が通らない悩みを持つ著者が、声について取材・考察し、「通る声」を手に入れるべく多角的なアプローチを試みている。

 新保氏はまず、飲食店でのワンシーンについてこう記す。

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飲食店で「すいませーん」と呼んでも店員に気づいてもらえなかったときの情けないような恥ずかしいような腹立たしいような気持ち。いたたまれなさでは目の前で電車のドアが閉まったときの感じに似ているかもしれない。

 わかる。わかるよ。わかりすぎる。こちらとしては、精一杯、100%の力で声を出しているのだ。自分の持てるすべての力を振り絞っての「すいませーん」。一度で届いた試しがない。ちなみに、私はあまりの声の通らなさに、あるときから声を出すのをすっかり諦め、入店時、店員さんに案内されて席に着いた時点で飲み物だけをまずオーダー。そして、飲み物が来るまでの間に超高速で注文する食事を決め、飲み物が来た際に注文する、という方法を取っている。獲物が確実にこちらに来たときに仕留める、食虫植物のようなやり方である。

 また、どうしても追加注文をしたいのに店員さんがこちらへ来る様子がないときは、てくてくと店員さんのほうまで歩いていって注文することもある。声が届かないならば、物理で届かせるしかない。それくらい、切実なのだ。

 本書で新保氏は、周囲にいる声の通る人、通らなそうな人に話を聞きに行き、参考文献をあたり(その数なんと35冊以上!)、音声分析をし、ボイトレにも通うなどと実に多角的に調査。また、最終的には、時代ごとに変わるニュースの読み方や喋るスピードを調べ(1分あたり何文字喋っているかのデータがあるらしい)、アメ横の呼び込みのおじさんや大相撲の呼出しの人にまで取材をし、「いい声とは何か」について考察する。

 その中でも興味深かったのが、日本音響研究所で音声分析をする第2章である。ここで「通る声」のだいたいの仕組みが解説されている。これによると、人間の耳が最も感知しやすいのは3000Hz付近の周波数であり、声が通らない人は、口の中の形状や動かし方など様々な要因でこの部分の周波数が出にくくなっているのだそう。また、腹式呼吸がいいとされるのは、腹式呼吸をすることによって3000Hz付近の周波数が強く出るからだという。このパートでは、歌手など特徴的な声を持つ芸能人についても掘り下げていて面白い。

 そして第3章では実践編として、ボイトレスクールに通ったり、様々な本のトレーニングを試してみたりしているのだが、ここで衝撃の事実が発覚する。滑舌や声の響きに悪影響を与える「舌小帯」というものが、新保氏にあることがわかったのだ。「舌小帯」とは、舌の裏側と口の底を縦に繋ぐ薄い膜のことで、たいていの人は大人になるにつれて自然と切れるらしい。これが稀に切れなかったケースがあり、「舌小帯短縮症」という異常なのだそう。程度が重いと手術をして切る場合もある。この舌小帯、私にもあった。「この年になって初めて自分の舌が異常であることを知る羽目になろうとは思いもしなかった」と新保氏。まったく同じ思いである。あかんべーをして舌があまり出ないのもこの影響だ。舌が短いだけだと思っていたが、まさか異常を抱えていたとは……。

 さて、著者の新保氏は、この長きにわたる取材によって、「通る声」を手に入れることができたのだろうか……? その結果は本書でぜひ確認していただきたい。それにしても、コロナ禍以降、騒がしい中で大きな声を出すシチュエーション自体が減っているのは、声が通らない人間にとって少し追い風かもしれない。一方で、日常のほとんどをマスクをして生活するようになり、ただでさえモソモソした声だというのに、普通の会話をするときすらも、ますますくぐもった感じの声になってしまった。なかなかうまくいかないものである。

文=朝井麻由美