少女マンガには、なぜ「ブサイクヒロイン」が登場するのか。彼女たちの存在意義に迫る

マンガ

公開日:2020/12/14

少女マンガのブサイク女子考
『少女マンガのブサイク女子考』(トミヤマユキコ/左右社)

「設定上では、だいたいのヒロインはあまり可愛くない。相手役の男の子はほぼイケメン」というのは、90年代後半以降の少女マンガの王道だ。ただその「ヒロインが可愛くない」という部分を追求して考えたことは今までなく、それを解説する書籍も私の知る限りでは存在していない。そのため『少女マンガのブサイク女子考』(トミヤマユキコ/左右社)を読んで目の醒める思いがした。

“マンガの「キャラ」は、リアルな現実、生身の自分から距離を置きつつ考えを深めるための装置としてとてもよい働きをする”

「はじめに」で著者のトミヤマユキコさんはそう述べる。例として挙げられる少女マンガは年代、ジャンルともに多種多様で章ごとに詳しい解説がある。

 例えば安野モヨコさんの『脂肪という名の服を着て[完全版]』は「ブサイク女子」としていじめられ続ける「のこ」が主人公だ。彼女はストレスがたまると過食してしまうのだが、あることをきっかけに過激なダイエットを始める。痩せることで幸せになれる…そう思い込むのこだが、彼女が蝕まれているのは、たやすく他人の価値観に翻弄されてしまう自信のなさだと著者は指摘する。

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 たしかによく見れば彼女はそこまで「ブサイク」ではない。だが周囲からのいじめと自分の思い込みによって、読者にもそう思わせてしまっている。

 もちろん、美醜は周囲の価値観によって変動するとは限らない。「超絶ブサイク女子の切なすぎる末路」という章もある。取り上げられているのは18歳で亡くなった漫画家、谷口ひろみさんの『定本 エリノア』だ。本作に漫画の引用があるのでぜひ見てほしいのだが、谷口さんは主人公エリノアを視覚的にわかりやすい「ブサイク」として描いた。一般的な少女マンガなら、エリノアが恋するイケメン男子は「そんなきみも好きだよ」と受け入れハッピーエンドを迎える……はずなのだが、この漫画のヒーローは「きみは あまりにもみにくすぎる!」と葛藤する。恐ろしいほど現実的だ。

 そしてまた、少女マンガでは異質なものを表現する手段として醜さを扱うこともある。標的となる人物にだけ醜さをさらけ出し、人生を破壊させる渡千枝さん『鈴蘭』のすずがそうである。また、美しい母の対比として醜いヒロインが描かれているのかと思いきや実はそうではなかった山岸凉子さんの『鏡よ鏡…』や、双子の片方が美しく片方が醜いという設定のまつざきあけみさん『魔の顔』など、「ブサイク女子」を描くことで逆説的に「美しさ」が不幸を招くこともあるという事実を描いた漫画もある。

 読めば読むほど、「ブサイク女子」を描く意義の幅広さに驚かされる。

 一方で醜さが少女マンガの世界では必ずしもネガティブなものとして描かれているわけではないことにも気づく。アルコさんの『終電車』に収録されたある短編の主人公ゆりあは、他者の価値観に左右されず、容姿を変えることもしない。それなのに力強く前に進む終盤のゆりあはとても魅力的なのだ。

“この世には「結果が全て」という言葉があるが、おそらく人間関係にその言葉は当てはまらない。ひとと向き合おうとするプロセスこそが、人を美しくする。”

 著者はそう解説する。

 本作には笹生那実さんの漫画と、トミヤマユキコさんと能町みね子さんの対談も収録されている。

 すべてを読み終えた後、自分がこれまで読んできた漫画を思い出して「なぜあの人物はブサイクとして描かれていたのか」を考えてみたい。今まで想像もしなかった価値観を知ることにも繋がるはずだ。

文=若林理央