注目作家・芦沢央が心に焦点をあてる人間ドラマ『バック・ステージ』の魅力

文芸・カルチャー

公開日:2020/12/15

バック・ステージ
『バック・ステージ』(芦沢央/KADOKAWA)

 ひとつの舞台で起こる連作短編集が好きだ。特に各話の語り手が替わるものがいい。エピソードによって主役が入れ替わり、背景が切り替わることそのものを楽しめるからだ。同時間軸に起こる複数の物語を描いた連作は、スポットライトの影さえも利用した舞台作品のようだと思う。

 そしてステージと舞台裏の両面をまるごとひとつのシナリオに落とし込んだジャンルを“バック・ステージもの”と呼ぶ。『バック・ステージ』(芦沢央/KADOKAWA)は、まさに連作のおもしろさとジャンルとしての“バック・ステージもの”を融合した作品だ。

 あるひとつの会社から始まる物語は、次に名もなき通行人Aとして描かれていた母親にスポットライトをあて、その次には学生を照らし、やがて役者の裏側を描き、最後には舞台作品を通じて会社の物語へと戻っていく。

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 著者である芦沢央さんの作品には、ストーリー全体のほか、ミクロな視点で楽しめる“影”もある。それは人物一人ひとりの心理や行動に隠された偏見や弱さ、不安だ。スポットライトを浴びる表での“ふるまい”と舞台裏の“心”の均衡が崩れると、人はシナリオ通りにはならないセリフを口に出し、社会のために作った仮面をはずしてしまう。

 その仮面がはずれてしまう瞬間に、どうしようもない人間らしさを垣間みる。そして、人間らしさから飛び出たアドリブがストーリー全体にどんでん返しをもたらしていく。その展開こそ、芦沢さんの描く物語のおもしろさだ。

 エンタメ系のPR会社に勤める新入社員の松尾は、同社先輩の康子が上司の机をあさる姿を目撃したことがきっかけで、社内不正の証拠探しの片棒を担がされる。証拠を求めて奔走する彼らの行動は、さまざまな場所に起こらなかったはずのイベントを起こしていく。人々の裏側に潜んでいた感情や思い込みを取っ払ったり、一見関連のない話に結びついたりする。そして導かれるのは、二人の勤める会社がPRを担う舞台の会場だ。本番を目前に控えた舞台裏にスポットがあたり、読者はその緊張感と役者の素顔に迫る。松尾と康子の二人は果たして、上司の陰謀を暴くことができるのか。高鳴る期待とともに、めくるめく人生のバック・ステージにいざなわれる。

 2020年9月発売の『汚れた手をそこで拭かない』(文藝春秋)も含め、芦沢さんの作品はミステリやホラーの文脈で評価されることが多い。吉川英治文学新人賞(2017年)にノミネートされた『許されようとは思いません』(新潮社)や、本屋大賞(2019年)と山本周五郎賞(第32回)にWノミネートされた『火のないところに煙は』(新潮社)も、ひたひたと忍び寄る恐怖やミステリとしての完成度が話題を呼んだ。

 それらはもちろん魅力なのだが、読み手にじわりと余韻を残す人物や、どんでん返しに舌を巻くストーリーは、人の影とそこに渦巻く葛藤や不安を緻密に描くからこそ生まれるものだ。

 くすりと笑えるセリフやおどろく展開を随所に加え、劇場型小説とでも呼びたくなるような人間ドラマに仕上げた『バック・ステージ』は、爽快感と共にその神髄を味わえる一冊だ。舞台の裏側というコンセプトに寄せた構成が、人間の心の淀みで物語を転ばせるスタイルにぴたりとはまっている。

 次々と新作を発表する芦沢さんがミステリ界のフロントランナーとして注目される今だからこそ、あえて人間ドラマとして『バック・ステージ』を読んでほしい。「なるほど、そうきたか」から始まり、「まさか、こうきたか」で終わる物語。この物語の意外性を貫いているものが何かに想いを馳せると、胸中には得も言われぬ高揚が湧き上がるはずだ。

文=宿木雪樹