樹海は呪海?最強の呪具「コトリバコ」とは?「樹海村」〈小説版〉で圧倒的な現実感と恐怖を体感せよ!

文芸・カルチャー

公開日:2021/1/30

樹海村
『樹海村』(久田樹生:著、保坂大輔・清水崇:脚本/竹書房)

 自死の名所としても知られる富士山麓の青木ヶ原樹海。そこには死にきれなかった人々が集まった集落「樹海村」が存在する、という噂がある…。本作『樹海村』(久田樹生:著、保坂大輔・清水崇:脚本/竹書房)は、2021年2月5日に公開する同名映画の小説版だ。

『呪怨』(1999)、『呪怨』劇場版(1、2ともに2003)などを作り上げた、ホラー界の巨匠・清水崇監督。彼が撮った、実在する心霊スポットを舞台にした『犬鳴村』(20)は、興収14億円、動員数110万人を記録した。そのノベライズも担当した久田樹生氏は、本作のあとがきでこう書いている。

映画を見る前に読んで、見てから読んで、更に読み直してから見直すことで、様々なことが楽しめる、かも知れません。
加えて、本書には「青木ヶ原樹海や、森と言われる場所を取材した内容」と「日本国内で聞いた怪奇譚」をベースにした内容を含ませました。

「富士の樹海」の伝説は、聞いたことがある、知っている、そんな方も多いのではないだろうか。それならば、本作はより楽しめるはずだ。過去から現在、そして未来へと続いていく恐怖と絶望……。その果てに残る“もの”とは?

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伝説? 現実? 樹海の奥にある伝説の村と、強力な呪いが込められた殺人箱

「絶対に行ってはいけない」「入ったら生きては出られない」と噂される“緑の魔境”青木ヶ原樹海、通称・富士の樹海。

「コンパスが利かない迷いの森」「入ると何者かに襲われる」そして「様々な怨念をもったヤバい村がある」など、令和の今もインターネット上で噂になっていた。

 子どもの頃から霊能力をもつ天沢響(あまさわ ひびき)。彼女の目には幼少の頃より常ならぬ存在が映っていた。それらを見るたびに恐れ、我を失い取り乱し、失神することもあった。

 周りから白眼視されるのに耐えられず、学校に“行けなくなり”退学。まもなく18歳になる現在、引きこもるようになっている。そんな響は静岡県北東部、富士の裾野からほど近い住宅地に、3歳上の姉・鳴(めい)、父方の祖母・唯子と暮らしていた。“彼ら”を見られるのは“今は”響だけ。だから家族であっても、この次女の言うことは信じない。病気であるとさえ思っているのだ。

 今、彼女は近場にある「富士の樹海」に強い関心をもっていた。樹海は、何らかの理由で自死を選ぶ人々が向かう地としても有名である。更に樹海の奥には自殺に失敗したり、死にきれなかったりした人々が集まった集落「樹海村」が存在する、そんな都市伝説があった。

 霊や呪いといったオカルトの本や、ネット上の動画に没頭するようになっていた響。彼女がじっと見ていたのは、樹海に引きずり込まれるように消えた、ある動画配信者の映像である。

 そんな折、鳴と響の幼馴染同士が結婚するという。その新居への引っ越しを手伝いに行ったとき、彼女らはある物をみつけてしまう。

 それは風呂敷に包まれた寄せ木細工の古い箱だった。響が見ただけで怯える、禍々しい箱だった。それを手にし、処分するために持ち去ろうとした人間が、その場で車に撥ねられて死んだ。それを皮切りに、姉妹の周囲の人たちが次々と死んでいく…。

 この箱こそ、関わる人間を殺しまくる、強力な呪いが込められた「コトリバコ」だった。「絶対に検索してはいけない」と、こちらもまたネット上で語り継がれていた都市伝説のひとつだ。現実に存在し、時を超えて蘇ったのか。

 響はある決意をもって動き出す。そして姉の鳴もまた失っていた記憶を取り戻していく…。解き放たれた恐ろしい呪具「コトリバコ」の正体とは? そして現実にあった「樹海村」とは?

「お姉ちゃん知ってる? この箱が置かれた家はね、みんな死んで家系が絶えるの」

じわじわくる恐怖を、あなたは楽しめるのか…

 響や鳴の10代後半の恋心や複雑な感情の動きなど、心理描写もていねいで、途中は青春ものとして楽しく読むことができた。だがそれも禍々しく盛り上がるクライマックスへの布石である。“今そこにある恐怖”がじわじわと感じられるのは、小説版ならではだろう。最後に、著者の久田氏が本作を執筆中、周りで起きた出来事をあとがきから抜粋する。

本書を執筆する際、いろいろなことが起こりました。

各種確認の電話中に、突然ノイズが入り、切れる。
原稿を纏める前に書き付けておいたメモに、打った覚えのない意味不明な文字列が入っている。
呪術について調べていると、突然仕事デスクの周りが表現し難いおかしな空気になったので首を捻っていると、鳥や動物の声が外から響き渡り、元に戻る。

特に、呪術と樹海関連の作業をしているときが酷(ひど)かったように感じます。
然もありなん、でしょう。

 ホラーやミステリー、そして都市伝説、そのほとんどはフィクションである。だが100%ではないということだ。

 なお『樹海村』を読み終わった本稿のライターの周囲には何も起きていない。今のところ。

文=古林恭