つらい時、今いる場所から離れるのは“逃げ”じゃない。大自然の中で自分を取り戻す、村山由佳の感動作!

文芸・カルチャー

公開日:2021/1/30

雪のなまえ
『雪のなまえ』(村山由佳/徳間書店)

 いじめを受けた時、心が疲れてしまった時、今いる場所から立ち去ってもいい。自分らしくのびのび生きるために、その場を離れるのはけっして“逃げ”ではない──。こうした考えは、ひと昔前に比べるとずいぶん浸透しつつある。『雪のなまえ』(村山由佳/徳間書店)も、東京の小学校でいじめに遭った少女が、大自然の中で本当の自分を取り戻す物語だ。しかも、ただ「その場を離れてもいいんだよ」というだけではない。新たな場所で何を考え、どう生きるのか。“その先”まで丁寧に描いているからこそ、体の奥底にぽっと火が灯るような感動と、奮い立つような勇気が湧きあがってくる。

 島谷雪乃は、いじめがきっかけで不登校になった小学5年生。父親の航介は転校を検討するが、母親の英理子は「逃げ癖がつく」と猛反対する。だが、思い立ったら即行動派の航介はすぐさま会社を辞め、雪乃の曾祖父母が暮らす長野への移住を決意。雪乃と航介は長野で暮らし、出版社で働く英理子は東京に残り、時間を作ってふたりに会いにくる。そんな変則的な家族生活が、幕を開ける。

 雪乃は、繊細で思いやりのある少女だ。学校に行かないと、大好きな母親ががっかりする。それでも、やっぱり移住先の学校に行く気になれない。そんな雪乃を、航介は大らかに包み込む。その言葉が、実にいい。

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「学校なんて、無理して通わなくていい。学校でしか学べないこともあるにはあるだろうけど、いっぽうで、学校では逆立ちしたって学べないことが外の世界にはたくさんある。この世界の全部が、人生をかけて学ぶための学校なんだ。子どものための学校じゃなくて、人間の学校なんだよ」

 納屋を改装してのカフェづくり、旧暦に基づく農作業、曾祖父母とのふれあい。信州の大自然に囲まれた暮らしは、雪乃のこわばった心をゆっくり溶かしていく。中でも、彼女の感情を大きく揺さぶるのが、この地で出会った少年・大輝との交流だ。大輝の母親は、心の不調により実家で療養生活を送っている。人の痛みを知っているからこそ、大輝は強く、そして優しい。雪乃のことを気にかけ、学校の様子を話してくれたり、登校をうながしたりと、ぶっきらぼうながらさりげない心遣いを見せてくれる。いや、これは雪乃ならずとも惚れるだろう。そんな彼のある行動により、雪乃の世界は一気に大きく開けていく。

 変わっていくのは雪乃だけではない。ひとりで何でも抱え込み、職場でも家庭でも弱音を吐かずに頑張りすぎる英理子。小器用に立ちまわり、ひょうひょうと世渡りしてきた航介。雪乃の両親も自分の生き方を見つめ直し、心を軽くして新たな一歩を踏み出していく。山間の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むような、キリッとすがすがしい再スタートだ。

 ……と、ここまで読むと“田舎暮らし礼賛小説”のようだが、作中では移住生活の厳しさも描かれている。事前に根回しをしておかなければ、余っている畑も借りられない。「カフェを始めたい」と話しても、冷淡にあしらわれる。不登校の子どもや娘と離れて暮らす母親への風当たりも強い。狭い共同体のしがらみを肌でわかったうえで、どうやって彼らに溶け込み、自分の居場所をいかにして築いていくか。そんな田舎暮らしのリアルも教えてくれる。

 主人公は小学生だが、これはけっして子どもだけに向けられた作品ではない。今いる場所から逃げ出したい人、心が折れそうな人、つらいけれどSOSを出せずにいる人、なんとか再起を図ろうともがく人。新たな居場所を探すすべての人の背中に、そっと温かな手を添えてくれる1冊だ。

文=野本由起