なぜ「就学不明」で片付けられてきたのか…日本で暮らす外国籍の子どもたちのリアル

社会

公開日:2021/2/3

にほんでいきる 外国からきた子どもたち
『にほんでいきる 外国からきた子どもたち』(毎日新聞取材班:編/明石書店)

 一人ひとりの声は小さくとも、団結して声を挙げれば物事が改善に向かうことがある。しかし、日本には声を上げにくい人々がいる。外国籍の人たちだ。

「自己責任論」が広まっている。外国籍の人たちが置かれた苦境を報じても、少なからず「異国で暮らす選択をしたのは自分」「だから自己責任だ」といった声が出てきそうだ。仮にそれが正論だとして、では、その親に連れられた子どもに対しても、やはり自己責任論を突きつけるのだろうか。それはあまりにも残酷だ。

『にほんでいきる 外国からきた子どもたち』(毎日新聞取材班:編/明石書店)は、外国籍の子どもの学ぶ権利が侵害されている悲惨な実態を取り上げている。問題が露呈した発端は、毎日新聞の取材班による2018年の調査。全国の100自治体を抽出して住民登録されている外国籍の子どもの就学状況をアンケート調査したところ、日本人の義務教育年齢である6~14歳の子ども7万7000人のうち、学校に通っているかどうか確認できない「就学不明」は2割以上にのぼった。毎日新聞は紙面で、外国籍の子どもが教育を受けられていない実態を報道して、反響を得る。翌2019年、政府はこの動きに背中を押される形で、外国籍の子どものうち、就学不明児の初となる全国調査に踏み切り、就学促進となる法的根拠を定めるまでに至った。

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「子どもたちは学びたくないわけではない。学びたいが、学べないのだ」と本書はいう。本書には、さまざまな理由で学校に行かない子どもたちの声や苦悩が赤裸々に記されている。日本語がわからず不登校になり、そのうち仲間とつるんで強盗事件を起こす少年。自宅にこもり、オンラインゲームでただ時間を潰す兄妹。無断欠席を続け、虐待を受け続けた末に命を落とした少女。日本語がわからないため知能検査の問題を理解できず、発達障害の判断がなされ、特別支援学級に転校させられた子ども。

 なぜ、学校に行かないのか。彼ら彼女らの多くは、「デカセギ」にきた外国人労働者の子どもだ。親は非正規雇用の不安定な立場に置かれ、子どもにかまう時間がない。子どもたちは、学校できちんとした日本語を教えてもらえず、勉強がわからない。コミュニケーションがとれないために友達ができず、自分ひとりで問題を抱え込まざるを得なくなるという。

 そのような闇がなぜ長年、放置されてきたのか。「それは、国が実態を知らなかったからだ」と本書。そもそも、日本において外国籍の子どもたちには就学義務がない。日本の学校教育には「立派な日本国民を育てる」という戦前の国民教育の発想が残っている。現に、中学校の道徳の学習指導要領には「日本人としての自覚をもって国を愛し、国家の発展に努める」という記述がある。こうした「日本人のための教育」を、外国人に強制するわけにはいかない、というのが国の論理だ。国が就学義務を認めるという責任を負わないから、自治体は調査に踏み込めず、就学不明で片付いてしまう。ブラックボックスで放置しておくのが各所にとって最善だった、というのが正直なところなのかもしれない。

 学校に行かない子どもたちの進学率は当然低く、若くして安価で不安定な働き手になり、負の再生産がなされていく。本書いわく、外国籍の子どもたちが本当に必要としているのは、日本語教育の環境整備と、親身になってくれる支援者。新型コロナウイルスの流行が収まらない中で、日本語教室は中止を余儀なくされ、支援者と対面で相談できる機会は失われている。日本でも推進を掲げている持続可能な開発目標(SDGs)の理念には、「誰一人取り残さない」という文言がある。

 本書は、外国人は社会の一員であり、もはや彼ら彼女らの支えなしに社会は成り立たない、としている。外国籍の子どもたちもやがて、国の担い手になるかもしれない。本書は、外国籍の子どもへの理解を深め、共に声を上げる方法を模索していくための助けとなってくれる。

文=ルートつつみ(https://twitter.com/root223

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