「最初はけんもほろろに断っていた」という漫画『機動戦士ガンダムTHE ORIGIN』──レジェンド・安彦良和氏の全仕事を辿る

アニメ

更新日:2021/4/20

安彦良和 マイ・バック・ページズ
安彦良和 マイ・バック・ページズ』(安彦良和:著・イラスト、石井誠:著/太田出版)

 日本の漫画やアニメは、今や世界に誇る文化として広く親しまれている。そして漫画には漫画の、アニメにはアニメの巨匠が存在して、それぞれの価値を高めていったのだが、中には漫画とアニメ両方で結果を残した人物も希少ながらいるのだ。そのひとりが安彦良和氏である。アニメファンならその名を聞けば、すぐに『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザインほか、『アリオン』などの監督を務めたレジェンドだと頭に浮かぶだろう。漫画ファンなら『虹色のトロツキー』や『王道の狗』といった作品を描いた作者だと答えるのでは。華麗なる経歴を誇る氏ではあるが、どのようにして業界を歩んできたのか。『安彦良和 マイ・バック・ページズ』(安彦良和:著・イラスト、石井誠:著/太田出版)には、安彦氏が辿ってきた道すべてが語られているといっても過言ではない。

 本書にはインタビュアーである石井誠氏による30時間以上の取材で安彦氏が語った、すべての仕事や当時の状況が記されている。意外であったのは実に華々しく思える経歴に対し、氏自身の評価は「安定した生き方のコースに乗らず(乗ることができず)、日当たりを避けているようにして生きてきた」とあとがきで述べていること。随分と低評価というか、自分の人生に対してネガティブな印象を持っているようだ。その考えはどのあたりから来るのか。本書にはそれが包み隠さず語られている。

 安彦氏は元々、漫画家に憧れており、中学生の頃には雑誌に自らの描いた漫画を投稿している。高校時代には「スペイン内戦」をテーマにした漫画も描いているが、いつしか氏は「自分の描く漫画は、商業的なものではない」と夢を諦め、弘前大学へと進学。しかし学生運動に参加したことで退学となり、「生きていくための仕事」を求めて東京へと上京するのだ。なるほど、この時点ですでに「陰」のようなものは感じられる。

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 安彦氏がアニメの世界に関わるきっかけは、虫プロダクションの「アニメーターの養成所員募集」に応募したこと。それに採用され、アニメーターの仕事を学んでいくことになる。仕事が速かったという氏は後にフリーとなり、虫プロの仕事を中心に活動。虫プロ倒産後は創映社を中心に、さまざまな作品に携わることとなる。『宇宙戦艦ヤマト』をはじめ『勇者ライディーン』や『超電磁ロボ コン・バトラーV』などの話題作に参加し、氏はその名を知られていく。そして1979年『機動戦士ガンダム』に関わることによって、安彦氏の評価はさらに高まっていった。

 人気アニメーターとしての地位を確立した安彦氏ではあったが、実はこの後しばらくして、アニメ業界から遠ざかることになる。それはなぜかといえば、氏いわく「これは居場所はないな」ということだった。自身が監督を務めた『巨神ゴーグ』や『アリオン』といった作品があまりヒットしなかったことに加え、庵野秀明氏などの才能が現れたことで、そう感じるに至ったのである。そして劇場版『ヴイナス戦記』を最後に、氏はアニメ業界から身を引くことになる。

 安彦氏がアニメの世界から比重を移したのは、漫画の世界であった。実はアニメの仕事をしている間、氏は漫画の仕事も行なっていた。『アリオン』や『ヴイナス戦記』は自身の漫画をアニメ化したものである。アニメから離れてからは、『虹色のトロツキー』や『王道の狗』など歴史を題材にした作品を多く手がけることに。元々、漫画家に憧れていた氏にとってはある意味、本望だったと思われるが、それでも掲載誌が休刊になることも経験。氏はそのたび「雑誌の役に立てなかったんだ」と感じたのだという。

 そんな安彦氏が、かつてアニメで関わった『機動戦士ガンダム』に「漫画」で再び向き合うこととなる。しかし氏によれば「最初はけんもほろろに断っていた」という。「漫画家として充実していた」時期であり、迷惑だったとまで語っている。しかしサンライズの社長らが何度も通ってくるうち、氏の考えも変化を見せる。かつての映像は現在では「観るに堪えない」ものもあり、当事者としての責任も感じつつ、最後は「時間がかかるよ」と引き受けることになったのだ。こうして漫画『機動戦士ガンダムTHE ORIGIN』の連載がスタートしたのである。

 連載は10年続いたが、その中でやはりアニメ化の話も出ることに。安彦氏は最初「誰かがやってくれるんだったら」という姿勢だったが、なかなか話が動かないため「俺がやる!」というようになったと語る。当初はテレビシリーズで1年戦争全体を描く予定だったが、企画が難航して「とりあえず過去編をやりましょう」とOVAの制作になったという。氏自身は本編の映像化を望んでいたが、結局サンライズの「総意として」映像化はしないということになってしまった。

 こうして安彦氏の50年に及ぶキャリアを見ると、華やかな一方で挫折というか、思い通りにいかないことも多々あったことがよく分かる。ネガティブな気持ちになるのはやむを得ない部分もありそうだが、それでも氏がアニメ界や漫画界に残した足跡は決して小さくはない。そして今後も漫画やアニメの世界での活動は続くということであり、氏の「履歴書」は更新されていくのである。

文=木谷誠