4組の男女をめぐる嘘や秘密とは――残酷な現実・人生を肯定してくれる物語『ワンダフル・ライフ』

文芸・カルチャー

更新日:2021/2/20

ワンダフル・ライフ
『ワンダフル・ライフ』(丸山正樹/光文社)

 もし自分だったら、どうするだろう。どんなことを感じるだろう。

 小説を読んでいるとき、そんなふうに登場人物に自分を重ねて考えてしまうことがある。丸山正樹氏の新刊『ワンダフル・ライフ』(光文社)を読む人の多くは、きっとそうした想像をしながら、物語に引きこまれていくことになる。

 本作では「無力の王」、「真昼の月」、「不肖の子」、「仮面の恋」の4つのストーリーが語られていく。

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「無力の王」は、事故による頸髄損傷で肩から下を動かすことができず、寝たきりになっている“妻”を自宅で介護する“わたし”が語り手になっている。

やってられない。本当にやってられない。その言葉ばかりが頭の中で渦を巻く。なんで自分がこんなことをしなけりゃならないのか。なんで。なんで自分ばかりが。なんのために。誰のために。

 物語はこんな嘆きから幕を開ける。妻の介護のために自由になる時間がほとんどなく、その妻から「ありがとう」の一言も言われたことがない。そんな“わたし”の苦悩、そして自宅介護の過酷な現状が語られていく。報われない思いを抱えた“わたし”は、深夜にひとりでキーボードを打つときだけ、現実を忘れることができて――。

「真昼の月」で描かれるのは、一志と摂の夫婦の物語だ。結婚をするときに摂からの申し出で「子どもはつくらない」と決めていたふたりだが、設計士である一志は将来のマイホーム計画の着手を機に改めて子づくりを提案。話し合いの末、1年限定で妊活を始めることに。しかし、なかなか思うような結果は出ない。落胆しているところに、一志は摂の“ある過去”を知って衝撃を受けることになる。

「不肖の子」は広告代理店に勤め、直属の上司と不倫をしている“私”のストーリー。不倫相手の父親が脳梗塞で倒れたことをきっかけに、ふたりの関係に変化がおとずれる。急によそよそしくなった上司の態度と愛人という自分の立場に疑問を抱くようになった“私”は、気まぐれか腹いせか自分でもわからぬまま、彼の意識不明の父親が入院する病院へ向かう。

「仮面の恋」では、照本俊治という青年と〈GANCO〉というハンドルネームの女子大生がパソコン通信を通じて交流を深めていく。障害者ボランティアについて自分なりの考え方を持ち、70年代映画が好きという共通点を持つふたりは、掲示板でのやりとりだけでなく、個人的にメールをするようになり、ついに〈GANCO〉は実際に会ってみようと俊治を誘う。しかし、俊治には〈GANCO〉に隠していることがあった。それは俊治が出産時の異常による脳性麻痺者であるということ。“本当の自分”を知られたくない俊治は、若い男性介護者に「〈GANCO〉と会うときに自分の振りをしてほしい」と頼み込んで――。

 著者の丸山正樹氏はこれまでも障害のある人々や社会的な弱者の姿を描きつつ、その問題提起をドラマチックなエンターテインメントに仕上げてきた作家だ。本作でも重度の障害のある人の過酷な日常、排除や差別の実態、悲痛な心情が生々しくリアルに描かれていく。

いないから、気づかない。会わないから、知らない。誰も、自分たち障害者の存在を。あなたたち健全者と同じように、悩み、苦しみ、喜び、笑い、欲し、怒り、悲しんでいることを――

 そんな重苦しい状況を描きながらも、本作がまさに“ページターナー”と言うべき作品になっているのは、4組の男女のそれぞれの嘘や秘密、隠し事をめぐるドラマが、ミステリー的手法を活かした巧妙な構成によって展開していくからだ。彼ら彼女らの行き着く先はどこなのか。そして、これらのストーリーはどのようにリンクするのか。そのサスペンスと謎が最後まで読み手を引きつける。

 見えないところに押しやられ、存在しないものとして扱われ、そのまま忘れられていく人々がいる。しかし、そうした人たちに光を当てるために“物語”が必要なのではないか。本作はそんな問いをも投げかけてくる小説だ。現実が残酷だからこそ、人生を肯定する物語が意味を持つ。その結末の衝撃と余韻は、きっと残響のように読者の胸に長くとどまるだろう。

文=橋富政彦

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