大阪に暮らしたふたり、柴崎友香と岸政彦のあの街の魅力とは? 著者の記憶を追体験できるエッセイ

文芸・カルチャー

更新日:2021/2/28

大阪
『大阪』(柴崎友香岸政彦/河出書房新社)

 2005年まで大阪に住んでいた小説家の柴崎友香氏と、大学入学以来大阪に住み続けている社会学者の岸政彦氏。ふたりの大阪にまつわるエッセイが交互に記されたのが『大阪』(河出書房新社)だ。両者がこの街でどのような体験をし、どのような記憶や印象を抱いている(いた)のかが綴られている。

 岸氏は大阪についてこんな風に書く。賑やかでガラが悪く、せせこましくて、あくどい、どぎつい、でも親切な街。自由で、気取りがなくざっくばらん。気さくで、ほがらかで、懐が深い。大阪の特質を語るのに、これだけするすると形容詞が出てくることにまず驚く。愛憎半ばする言葉が並ぶが、岸氏はその両方を引き受けてきたのだろう。確かに「愛」ばかり並べるのは、ちょっと嘘っぽいし、うさんくさい。

 社会学者である岸氏は、この学問分野に欠かせない「フィールド・ワーク」を継続して行っている。アンケートや聞き取りにより得たデータをもとに、特定の地区の実態について調査や研究を敢行する。簡単にまとめるとそんな行為だ。岸氏は自分の住んでいる大阪でもフィールド・ワークを行っており、今ある街が長く積み重なった歴史の上に成立していることに感銘を受ける。店や住居が変わっても、かつてここで生きてきた人間の意思はどこかに眠っている。「街を歩いて目に入るものすべてが、誰かの生きた跡、その積み重ねなのだ」と柴崎氏も言う。

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 一方、柴崎氏は大阪から東京へやってきたことを「出張出勤のよう」と述べ、大阪での学生時代の記憶を固有名詞を並べつつ記述する。エレファントカシマシのライヴには必ず行き、ダウンタウンのテレビ番組の収録へ赴き、カルト映画を見ていたという柴崎氏。フットワークの軽さと好奇心の強さが、彼女を街へ向かわせる。

 ミニシアターや劇場やライヴハウスなど、未知の場所を自発的に見つけていく柴崎氏。彼女にとって大阪の遊び場は、学校/職場でも家庭でもない、「サード・プレイス」なるものに合致する。サード・プレイスとはアメリカの都市社会学者が89年に発表した概念だ。自分に自由を与えてくれる第三の居場所を指す言葉で、公園からカフェまで指し示す範囲は広い。

 柴崎氏が小中学生だった頃は、公園や空き地、裏山などがサード・プレイスだったと思うが、そういう場所は今やどこでも消失しつつある。例えば『ドラえもん』では小学生たちが空き地で野球をしていたが、空き地というものが壊滅状態ある今、それは既にフィクションになってしまった。アニメや漫画でしか見られない絵空事となったのだ。

 一方、岸氏は仕事に行き詰まったり、なにか気晴らしが欲しくなったりすると、必ず淀川を歩くという。淀川の河川敷を宇宙一好きな場所と書いており、これもひとつのサード・プレイスだと分かる。

 また、雑誌などで80年代や90年代の文化の特集があると、取り上げられる場所がほぼ東京のことに限られ、大阪はスルーされる、と柴崎氏。東京から見た場所のあれこれにはスポットが当たっても、東京から見た大阪の文化史は、ほとんどないことになっていると言う。

 あるいは、テレビ経由のイメージだと大阪はどこの家にも「おもろいおかん」がいる、と思われる。当然そんなことはなく、大阪は多様な人々が寄り集まって暮らしている大都市である。「ステレオタイプなイメージの隙間に一人一人の現実がある」という柴崎氏の主張には納得がいく。

 ふたりが本書で語ったのは、情報ではなく記憶である。本人は現実を素描したように思っているかもしれないが、おそらく思い込みや思い違いも多々あるだろう。それも含めて記憶なのではないか、と思う。だから、エッセイといっても事実や情報を機械的に記述するのではなく、断片的な記憶を拾い集め、大阪で過ごした時間や空間を振り返ったような印象を受ける。

 ふたりが心の中に描いたり、刻んだりした風景が読者の前に差し出される。例えば筆者は大阪に行ったことは数回だが、ふたりの大阪に関する記憶を追体験することで、この都市の奥行きと深みを実感した。本を読んでいてそんな気持ちになったのは初めてかもしれない。

文=土佐有明