好きだけど、その言い回しなんか苦手…アフリカ人学長が切り込む!「京都コード」の背景にあるもっともな理由とは?

文芸・カルチャー

公開日:2021/3/3

アフリカ人学長 京都修行中
『アフリカ人学長 京都修行中』(ウスビ・サコ/文藝春秋)

「京都でぶぶ漬け(お茶漬け)を勧められたら『もう帰れ』のサイン」など、京都の人は特有の「わかりにくい表現」をするといわれている。そんな「いけず」な感覚に「京都は好きだけど、なんか壁がある…」と苦手意識を持つ人も多いが、そもそもどうして京都の人はそんな言い方をするのだろうか。

『アフリカ人学長 京都修行中』(ウスビ・サコ/文藝春秋)は、そうした京都特有の言葉のマナーの背景にあるもの、そして独自のコミュニティのあり方といった京都の特性にユニークに切り込む一冊だ。

 著書のウスビ・サコ氏は91年から30年間京都に住み続けているマリ出身の京都精華大学学長。最近は『サンデーステーション』(テレビ朝日系)でゲストコメンテーターをつとめるなど、テレビでも活躍されているのでご存じの方もいるだろう。

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 京都というのは氏の専門である「空間人類学」(人々がどのように空間や場所を生活に利用しているのか、どのようなコミュニティが形成されるかなどを文化人類学の手法で研究する分野)の観点から見ると独自性が高く魅力的な都市とのことで、本書では氏が体験した「京都的なものを巡る悪戦苦闘」をフィールドワークに、母国マリとも比較しながら空間人類学的に京都を考えていく。

 憧れで京都に来たのではなく、たまたま縁があった留学先が京都大学大学院だったという著者だけに、視点はフラットで客観的(しかも正直)。外国人にやさしい京都の人の懐に上手に入り、むしろ「よそもの」の日本人には見えにくい意外な京都の内側を見せてくれる。

 たとえば冒頭にあげた「ぶぶ漬けのススメ」のような婉曲的なNG表現にしても、その背景に京都ならではの理由がある。それは狭い土地で互いに心地よく暮らすための他者への気遣いであり、直接的なトラブルを避けようとする暮らしの知恵というべきもの。権力者に街を何度も破壊された歴史から考えても、あからさまな他人への批判は命を落とす危険につながりかねず、巧みに本音を避けるようになったのも当然だろう。

 著者もこうした「京都コード」ともいうべき独自の話法にはだいぶ苦しんだというが、むしろ「『嫌味ったらしい』『腹黒い』と怒るのではなく、京都コードの解読を楽しんでしまえばいい」と前向きだ。

 また京都には「一見さんお断り」という店もあり、国際観光都市でありながら「よそもの」に冷たい印象もある。実際、著者の知人のフランス人夫妻も某有名懐石料理店を予約しようとして断られたそうで、お店の見解は「食材や調理法のこだわりへの説明を理解して味わってほしい。言葉や習慣の壁でそれが理解できないお客様はお断り」というものだったとか。考え方によっては「お客様に気持ちよく食事をしてもらうためには丁寧な説明が必要」という京都風サービス精神の裏返しでもあるわけで、これも京都流の他者への気遣いなわけだ。

 ところで、考えてみれば京都の風景は「昔ながらの日本の姿」が凝縮して残っている状態であり、そこに住む京都の人のふるまいには「昔ながらの日本人らしさ」が凝縮されている面もある。御所を中心にした地域のヒエラルキー、職を土台にしたコミュニティのあり方、小学校学区へのこだわり…京都の社会のあり方は異質に思える面もあるが、一方で「日本的とはどういうことか」を考える視点にもつながる。ここ数年の社会の激変で昔ながらの京都らしさの多くが危機に瀕しているというが、そんな中でも未来に向けた新たな取り組みは始まっている。そうした京都の姿は「日本らしさのゆくえ」を占う上でも大きなヒントになるだろう。

 著者は由緒ある京都北ロータリークラブのメンバーにも迎えられ、さらに京都の奥の院に入り込んだ模様。それでも「まだまだ奥がありそう」というのだから驚きだ。だがその深すぎる奥行きこそが京都の謎であり、面白さなのだ。

文=荒井理恵

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