64歳の男が32歳の女性と恋に落ちた。その先に待っていたのは、破滅だとは知らずに――赤松利市最新作『隅田川心中』

小説・エッセイ

公開日:2021/3/15

隅田川心中
『隅田川心中』(双葉社)

 2018年、第1回大藪春彦新人賞を受賞し、小説家デビューした赤松利市さん。受賞作となった『藻屑蟹』は福島県を舞台に、原発の除染作業員たちの金と命のやりとりを描いてみせた衝撃作だった。

 以降、赤松さんは文学界で快進撃を見せる。実話をベースにした『ボダ子』、スカトロとファンタジーを組み合わせた『純子』、そして“トランスジェンダーの老後”をテーマに描き、第22回大藪春彦賞に輝いた『犬』。この他にも破竹の勢いで作品を生み出し続け、活字好きの間では話題の作家となった。

 赤松さんの作品では、金や暴力が描かれることが多い。その描写であぶり出されるのは、まさに“人間の業”だ。ときには目を背けたくなるようなシーンもあり、読み手の心をこれでもかと揺さぶる。

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 そんな赤松さんの最新作が『隅田川心中』(双葉社)である。帯に躍るのは「破滅してもいい 一度はそんな恋がしてみたかった」との惹句。そう、本作は、金と暴力の世界をたくさん描いてきた赤松さんによる、“大人の恋愛小説”なのだ。赤松ワールドのファンであればその意外性に驚きつつ、ページをめくる前から期待が高まるばかりだろう。

 主人公は64歳の大隈一郎。ゴルフ場協会に勤め、浅草に居を構えている。収入もそれなりにあるし、老後のために貯金もしている。行きつけの店で安酒を舐め、本を読んでは眠りにつく。決して派手ではないものの、不幸ではない生活だ。

 ところが、馴染みの喫茶店でアルバイトをしている32歳の咲村咲子からとある相談を受けたことにより、一郎の運命は大きく変わっていくことになる。

 その相談事とは、「父親の借金返済の代わりに、愛人契約を結んでほしい」というものだった。もちろん、想定外のことに戸惑う一郎。

 しかし、咲子は哀しい事情を抱えていた。父親は働かず、酒とギャンブルに溺れていること。昔、借金を返す代わりに、裏ビデオに出演させられたこと。そこで複数の男たちからレイプされてしまったこと。そして、父親はまだ懲りずに借金を重ねようとしていること。咲子の背景を知れば知るほど、一郎は彼女に深入りし、「守ってあげたい」と思うようになっていく。同時に、咲子自身も“一郎の愛人”ではなく、“一郎の家族”になりたいと願うようになる。互いに想いを寄せ合うふたりは、年の差を越えた恋に身を焦がしていくのだ。

 ただし、借金まみれの咲子の父親の周りには、どうやらヤクザよりも厄介な半グレ集団がいるよう。闘うことを決意した一郎は、咲子のために金を集めようとするが、ついには道を踏み外してしまう……。その先に待つのは明るい未来ではなく、奈落の底へ転落していくふたりの姿だった。

 一郎と咲子が出会い、少しずつ距離を縮めていくさまは、読んでいてもどかしい気持ちになる。なにせ、ふたりとも不器用なのだ。だからこそ互いに気を許し、「結婚」を決意した瞬間はホッとした。これで幸せになれるのだろう、と。

 でも、そうはいかないのが赤松節だ。物語の後半は、まさに急転直下。これ以上ないくらいの幸せを手にしたように見えた一郎が、あっという間に堕ちていく。本作で描かれているのは、恋愛は恋愛だが、悲恋である。ただし、それでも救いがあるとすれば、咲子がとてもピュアでかわいい女性として描かれていることだ。ラストシーンも決してハッピーではないのだが、咲子の描写により、寂しくも温かさのある終わりになっている。

 また個人的にとても興味を惹かれたのが、本作の文体だ。

“ここは隅田川護岸の浅草は隅田公園。春ともなれば花見客で賑わう場所でございますが、生憎今は冬でございます。”

 導入の文章を読めばわかる通り、本作は終始、神視点の落語口調で語られていく。それがときに可笑しみをもたらし、奈落へと突き進んでいく一郎と咲子の物語をカラッとさせているのだ。この巧みな文体によって、本作は悲恋が苦手な人でも読みやすい作品に仕上がっている。

 最後まで読み終え、もう一度帯に目をやる。「破滅してもいい 一度はそんな恋がしてみたかった」。これは、一郎の心からの叫びだったのだろう。その通り、一郎は破滅的な恋をすることができた。その代わり、すべてを失った。その最期を不幸だったと捉えるか、それでも幸せだったと捉えるか。その判断は読み手に委ねられている。

文=五十嵐 大

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