大好きなアイドルが目の前に現れ、心中に誘われる…『少年のアビス』で描かれる地方の闇と青春ストーリー

マンガ

公開日:2021/3/27

少年のアビス
『少年のアビス』(峰浪りょう/集英社)

 身動きのとれない日常のなかに高校生・黒瀬令児はいた。絶望すらできない彼に火を着けたのはアイドル、青江ナギ。「心中しようか?」そんなことを言う彼女と令児は結ばれる。出会った日のその夜に。

 エロティックな青春サスペンスストーリー『少年のアビス』(峰浪りょう/集英社)はこうして始まる。

 本作では未来のみえない人間たちの弱さが徹底的に描かれていく。

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黒瀬令児は町にとらわれ誰かに救ってほしかった

 令児は、何もない田舎町から逃げられない人たちに閉じ込められていた。

 高校2年生の進路相談。担任の由里は進学をすすめるが、普通に考えてそれは不可能だった。家族がいるからだ。認知症の祖母、心を病み引きこもって部屋で暴れ続ける兄、そしてたったひとりで働き彼らを支える母親…。彼女はこうつぶやく。

あたし令くんがいなかったら死んでるわ…

 彼らを残してどこかに“いくことはできない”から“この町にこのままでいる”しかない。将来も母を楽にする以外の選択肢は、ない。

 数少ない楽しみは、幼なじみのチャコこと朔子(さくこ)がすすめてくれたアイドルグループ・アクリルの動画を見るくらい。そんな令児に、東京の大学を目指す彼女は残酷に言うのだ。

令くんの人生は令くんのものだよ

 前向きにはなれない。逃げ出す気力もない。この時点で救われようがないと思われた彼の前に、アクリルの青江ナギが現れた。近所のコンビニで働きはじめていたのだ。

「なぜこんな町にアイドルがいるのか」。考える間もなくナギは令児にたばこをくわえさせ“火を着けた”。混乱する彼は彼女に町の案内を頼まれる。2人は川の前にきた。その上流は、恋人同士が飛び込み心中したとされた情死ヶ淵(じょうしがふち)と呼ばれており、小説の題材にもなっていた。

 夜の闇のなかで、令児はふと自分の境遇を語る。ナギは絶対この町からいなくなる人だから。どうにもならないことを誰かに聞いてほしかった。するとナギはこともなげに言う。

私たちも今から心中しようか

だって令児くんの人生
この先絶対つまんないだろーし

青江ナギと死ねて幸せって思わせてあげる

「これで救われる」。ナギが誘い、彼女の部屋で2人は結ばれる。コトが終わってしばらくすると、実は結婚していたナギの夫・似非森(えせもり)がやって来た。はちあわせて、令児は逃げるように帰宅。刹那的だが、人生で最良の思い出で終わる、はずだった。

 だが再びナギとコンビニで出会ったとき、令児は彼女の手を引き連れ出す。「救われたい」。雨のなか、川へ向かったのだ。今度こそ本気で。嬉しそうなナギに「なぜ死にたいのか」と聞く。

死にたい理由はないよ

ないの 生きてる理由が

 川辺で「最後に」と抱き合う2人。

一度くらい 誰かに愛して欲しかった?

今はもう望まなくて済むんだなって すごく楽な気持ち

 2人は手を握り、増水した川へ。だがそこを令児の担任の由里に見つけられてしまう。

町で育ち、闇から目を背けてきた女・由里

“柴ちゃん先生”こと担任の由里は、物語で大きなキーになる。ナギが川から去ったのち、令児は由里の家に連れていかれた。彼女は彼の家庭環境を知りつつ、死のうとするほど悩んでいたことにショックを受け、説得を試みる。

「オレに…先生みたいな幸せな将来は来ない」「助けて」。言われた由里は救おうと思った。ただし担任教師としての責任以外の“何か”にかられて。彼女はあっさりと落ちた。彼と同じ深くて暗い“奥底”へ。服を脱ぎ、誘い、令児に抱かれる。

 彼女は、町とそこにいる人たちにとらわれたままでいる大人だった。

あなたは大人になって家を出るの
きっと私が導いてあげるわ

 このときの令児は、救ってくれるのなら誰でもよかった。親が自分に依存していることを教えてくれ、ナギとは逆に生きさせようとする由里でも。

 だがナギに火を着けられたあの日から、彼には自発的な意志が芽生えはじめていた。自分のことはおいても、大人たちに自由を奪われるチャコを助けたいと思うほどに。「町を出るために援助する」と言われ、由里と関係を続ける。だが徐々に自分と彼女への違和感にさいなまれるようになる。

 自分の闇に向き合ってしまい、湧き上がる何かに飲み込まれた由里は、予想外の行動に出る。今後のストーリーで注目してほしいキャラクターだ。

救われたいのか、死にたいのか、火の着いた少年の目指す先は

 本作では登場人物たちの多くが“都合のいい”闇を吐露するシーンがある。令児も、母親も、由里も、令児があんなに助けたかったチャコでさえ、だ。黒バックでまったく同様の表現で、印象的なシーンになっているので注目してほしい。

 ただ誰も彼も、すべてを語ってはいないこと。令児に「救ってあげる」という人たちは皆“自分のことは救えなかった人たち”ということ。没頭して読んでいて気づき、ぞっとした。

 チャコが助けようと伸ばした手すら握らず、令児は「オレはもう…救われたくなんかない…」とつぶやく。

 助けず、一緒に死のうとしてくれた唯一の女・ナギは、町から姿を消し無期限活動停止であったアクリルに復帰していた。

 母親の思惑。ナギの夫の正体。小説のモデルになった事件の真実。見えなかった部分が徐々に明るみに出ていくなか、令児の向かう先は――。

 身動きがとれず、死を強く意識させる物語…ただ『初恋ゾンビ』のポップな作風を支えた峰浪氏の絵柄は、作品の救いでありおすすめしたい魅力である。

「アビス」とは深淵であり底だ。暗いだろう。だがそれより下はない。落ちようがないならあとは上がるだけだとも考えられる。けして地獄ではないのだ。

 いわんや高校生であれば、である。若者の前向きな未来を提示してくれることを期待しつつ、いま『少年のアビス』から目が離せない、目を背けることができない。

文=古林恭

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