バドミントン桃田賢斗の自伝が胸に迫る理由

スポーツ

公開日:2021/4/3

自分を変える力
『自分を変える力』(桃田賢斗/竹書房)

「まるいち食堂のソースカツ丼が今でも世界一美味しいと思っている」

 このフレーズがとても強く響いて、一気に読み進めてしまった。バドミントン世界ランキング1位の桃田賢斗選手による自伝『自分を変える力』(竹書房)である。

 まるいち食堂とは、福島県の自然豊かな猪苗代町にある老舗食堂。中学から県内の富岡町にある中高一貫校でバドミントン留学をしていた桃田選手は、東日本大震災で猪苗代町に練習場所の移転を余儀なくされるも、町の人々に支えられて再び奮起する。ソースカツ丼は、その時の思い出の味なのだが、世界に名を馳せるトップ選手になった今もそう語るところがじんと来た。

advertisement

 とっても美味しいに違いないが、意味しているのは人の温かさゆえの美味しさ。いわば「おふくろの味」に近い、不可侵の“世界一”だろう。

弱さが生々しすぎて泣けてくる

 桃田選手は、幼い頃からバドミントンの天才少年として、常々スポットライトを浴びてきたエリート。おそらく一般の人のイメージはそうだが、同書を読むと、折々で彼の弱さが生々しいほどに伝わってくる。もう何かと、へこたれているのだ。

 震災が起きた時に16歳だった桃田選手は、母校に戻れないことがわかって「何もやる気が起きず、家でただぼーっとしていた」と明かす。同年の夏、高校2年のインターハイでは、団体戦で勝利した相手にシングルス決勝で敗戦し、「1、2週間ぐらいは練習をやる気が起きなかった」とまた落ち込む。そんな心中を何度も率直に明かしているのだ。

 また、多くの人の記憶に残っているのは、オリンピックを間近に控えた時の大ニュース2つだろう。2016年4月、違法カジノに出入りした責任を取って、無期限の出場停止処分を受けたこと。それと、2020年1月、遠征先のマレーシアで交通事故に遭い、眼窩底骨折で手術からの長期のリハビリ生活を余儀なくされたこと。

 金メダル獲得を目標に邁進しながら、リオオリンピックは出場できず、東京オリンピックもあわやという窮地に立たされた。その時のことも「何をどうがんばっていいかわからなかった」「このまま引退してしまおうかな……」と思いつめたいきさつが痛々しいほど率直に語られていて、何度となく涙がこみ上げる。

応援せずにはいられない

 心が揺さぶられる理由は、桃田選手のバドミントンへの純粋な“愛”と周りの人たちのサポートの物語が浮かび上がってくるからに他ならない。

 出場停止処分を受ける前、「リオで金メダルを獲りたい」「派手な生活をしたい」と公言し、髪の毛を金色に染めたこともあって、「ビッグマウス」「チャラい」とバッシングされたことを覚えている人も少なくないだろう。だが、その真意もマイナースポーツであるバドミントンにもっと注目してもらいたいという思いがあったのだ。

 高校を卒業して社会人になったばかりの若者が、調子づいたという側面もあるだろう(そのぐらい許せないのかと思うが)。だが、その一時期を除くと、幼い頃からバドミントン一筋の努力家。年がら年中、練習と試合に明け暮れて、むしろ派手とは真逆の生活だ。普段のそうした真摯な姿を見てきたからこそ、家族をはじめ、出会った指導者、関係者、チームメイト、同僚、友人、地域の人など、多くの人たちがいつもサポートしてきたのだろう。

 日本バドミントン界を背負うエースとして、メディアで華々しく取り上げられることも多いが、何度もくじけそうになりながら、何度も立ち上がってきたのだ。そして、その陰には必ず、支える人たち、そしてファンの応援があったと心からの感謝を語り続けている。

 ピュアな愛、人とのかかわり、感謝の連鎖がぐるぐると回る。サポートなくして、試練を乗り越えることはできなかったのが、よくわかる。読めば一人のファンとして、応援せずにはいられなくなる一冊だ。

文=松山 ようこ

あわせて読みたい