なぜ「させていただく」が多用される?

文芸・カルチャー

公開日:2021/4/4

「させていただく」の語用論 人はなぜ使いたくなるのか―
『「させていただく」の語用論 人はなぜ使いたくなるのか―』(椎名美智/ひつじ書房)

 春の麗らかさに誘われて近所をのんびりと散歩していたところ、視界に何やら強烈な違和感があり、そちらへ目を向けてみると、ごみ集積場に写真入りの警告文が貼られていた。

「不法投棄禁止 警察に通報させていただきました」

 写真には粗大ごみが投棄された状況が写っており、文章からは毅然とした態度が伝わってくる。勝手にごみを捨てると「廃棄物の処理及び清掃に関する法律16条及び第25条」により5年以下の懲役、または1000万円以下の罰金(またはこの併科)が科せられる。ごみのポイ捨ては立派な犯罪だ。しかし私の心に違和感を抱かせたのは「警察に通報させていただきました」という表現だった。

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 なぜここで、一般的には丁寧だと思われている「させていただく」を使う必要があったのだろう? ごみ集積場を管理する方は、誰かが勝手に粗大ごみを捨てたことに憤りを感じ、現場の状況を記録するためわざわざ写真を撮って警察へ通報した上で、「次から容赦なく警察へ突き出しますよ」と警告するために掲示物を作成している。そこには怒りの感情があるはずなのに、なぜ「させていただく」なのだろう。

 近年、この「させていただく」という言葉が便利に使われすぎている。テレビやラジオで「読ませていただきました」「聞かせていただきました」「見させていただきました」という言葉が発せられる場面に遭遇してはモヤモヤし、「拝読」「拝聴」「拝見」という謙譲語をどうして使わないのだろうと疑問に思いながら、ない頭であれこれと考えあぐねていたところ、『「させていただく」の語用論 人はなぜ使いたくなるのか―』(椎名美智/ひつじ書房)というそのものズバリな本に出会った。

 はじめに断っておくが、本書を読み通すには少しばかり骨が折れる(ベースが研究論文で、難解な言い回しや用語が多用されるからだ)。しかし、どうして「させていただく」がこれほど多くの場面で便利に、そして安易に使われてしまうのか、その原因がどこにあるのかを先行の研究を踏まえながら、著者の専門分野である英語学の歴史社会語用論の手法を駆使してひとつひとつ検証していく過程は非常にエキサイティングだ。また注意せねばならないのは、論じられるのは「誤用」ではなく「語用論」であることだ。

 本書によると「させていただく」は20世紀に入ってから出現し、1990年代から使われる場面が激増した比較的新しい言葉であるが、使う場面や相手によっては「誤用だ」「なぜここで使うのか」と取られかねないという。言葉というのは時とともに変わり続けるものだが、増え続け、意味合いが変化している最中の「させていただく」は、取り扱いが難しい言葉であることが本書を読むとよく理解できる。

 読後、私が「警察に通報させていただきました」に感じた違和感について考えてみたが、警察への通報が管理者によってすでに行われたことであり、その行動はごみを不法投棄した人や通行人、集積場を利用するコミュニティの人々による事前許諾を必要とせず、しかも行動が完了した件に関しての意見は一切受け付けないという一方的な態度が、「させていただく」という言葉によって強化されたことにあるようだ。政治家や官僚が国会答弁などで「そちらの意見は聞きません」「こちらの判断でやりました」という意味合いで使う「させていただく」と同じカテゴリーだ。

 最近では「させていただいてございます」という少々盛り過ぎな言葉も出現するなど、乱発される「させていただく」。本書はこの言葉に違和感を覚えている人に「そうだったのか!」と腹落ちをさせ、何にでもくっつけて使える万能の言葉ではないこと、さらには使ってはいけない相手や場面を知ることで無用なトラブルが減るきっかけにもなるであろう。それには言葉を噛み砕き、新書のような読みやすい文章で再構成をして、多くの方に読んでもらえるようになるといいと思うのですが……椎名先生、いかがでしょうか?

文=成田全(ナリタタモツ)