舞台は地方の進学校。18歳の生徒たちの悩み多き日々と進路を、犬の「コーシロー」のまなざしを通して紡ぐ青春小説!【本屋大賞第3位『犬がいた季節』】

小説・エッセイ

公開日:2021/5/2

犬がいた季節
『犬がいた季節』(伊吹有喜/双葉社)

 どの作品でも、この人はどこかに実在しているのでは? と思うほどリアルな登場人物の日常をベースに、多彩な物語を紡ぎ続ける作家・伊吹有喜さん。連作短編集『犬がいた季節』(双葉社)は、そんな伊吹さんの作品の中でも、とりわけリアリティに満ちた青春小説だ。自伝ではなくフィクションなのだが、なんといっても、舞台は地方の進学校だった伊吹さんの母校で、各話をつなぐキーマンならぬキードッグは、実際にその高校で生徒たちに飼われていた白くてふかふかした犬「コーシロー」なのだから。

 5つの短編+最終話からなる本作ではまず、1988年から2000年までの12年の間に、それぞれ卒業年次が異なる18歳の少年少女たちの5つの青春が描かれる。12年は、犬のコーシローが生きていた時間だ。89年卒業の少女は、東京の美大を目指す同級生の少年との交流をきっかけに東京の大学に志望を変える。98年卒業の地元を愛する少年は、学校で一番美しくて賢いけれど家庭環境に恵まれない少女に恋をする。2000年卒業の苛立ちを抱えた少年は、ひりひりと焼けつくような思いで東京を目指す。人間関係の距離が近く、車が必需品という地方都市の生活を、居心地良く思う者も、悪く思う者もいる。

 読んでいて楽しいのは、それぞれの時代背景が、音楽、流行、時事ニュースに至るまで詳細に書き込まれていることだ。特に、その年に流行っていた音楽は、著者自身が「各話のエンディングに流れるようなイメージで書くことを心がけて」いたというほど、物語の空気とリンクしている。ちなみに、5つの物語のテーマソングは、時代順に氷室京介『FLOWERS for ALGERNON』、T-SQUARE『TRUTH』、Mr.Children『Tomorrow never knows』、スピッツ『スカーレット』、GLAY『HOWEVER』。音楽の力はすごいもので、曲名だけで、その時代がピンとくる人もいるだろう。

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 そんな2000年までの12年間に紡がれる5つの物語を経て、最終話は一気に2019年に舞台が飛ぶ。最終話で描かれるのは、5つの物語の登場人物たちのその後だ。18歳で懸命に選択した高校卒業後の進路。その道を、彼らはどう歩いたのか。18歳の若く未熟な子どもの選択の先には、人生が続く限り、またあらたな選択がやってくる。子どもから大人になっても、いつだって先のことはわからない。選択肢が目の前に現れるとき、誰もがみな、そのとき最善と考える選択をするしかない。生きることはその積み重ねだ。そして、生きている限り、一度した選択が間違いだと思ったら、私たちはやり直すこともできるのだ。小説のエンディングも、まだ彼らの人生の途中なのだろう。けれど、伊吹さんはそこに、この物語を読んできて良かったと思わせるカタルシスをちゃんと用意してくれている。

 この物語を通して、自らの過去の選択を思い出しながら、青春時代を懐かしむ気持ちになる人もいるだろう。これからの人生に希望を感じる人もいるだろう。ぜひ、自分だけの読後感を深く味わってみてほしい。

文=波多野公美

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