ここに描き尽くされた喜怒哀楽は、あなたの生きる糧となる。一穂ミチ連作集『スモールワールズ』

文芸・カルチャー

更新日:2021/5/10

スモールワールズ
スモールワールズ』(一穂ミチ/講談社)

 日々3度の食事を取り、心身ともに健康で、少数ながら心許せる友人もいる。家族にもこれといった不和はなく、仕事だって細々とだが続けられている。世の中の標準値からずれていて恥をかくことはあるけれど、私はおおむね、好きに暮らせているほうだろう。だからこそ、昨今の物語に触れたとき、ちょっと落ち込むことがある――これといった不幸を持たない私は、物語の主人公にはなれない。「幸福に見える」私が受ける「ささいな」痛みなど、物語の中でさえ癒されることはないように思えてくるのだ。

 6編の連作短編からなる『スモールワールズ』(一穂ミチ/講談社)は、人知れずそんな痛みを抱える人の、ひとつの光となるかもしれない。


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 最初に収録されている短編「ネオンテトラ」の主人公・相原美和は、広告代理店で働く夫とふたりで暮らしている。彼とは、モデルとして活動している美和の仕事の関係で知り合った。優れた容姿、知的な夫、結婚祝いに夫の両親が買ってくれたマンションと、すべてを持っているように見える彼女だが、その胸中は穏やかではない。おそらくは自分に原因があって、切望している子どもができないのだ。おまけに夫は、会社の後輩と不倫をしている。34歳という年齢もあり、仕事もうまくいかなくなりはじめた。鬱屈していたある夜、自宅のベランダに出た美和は、向かいのマンションの外廊下に目を留める。姪の通う中学校の指定リュックを背負った少年が、中年の男に怒鳴られているのだ。しょっちゅう家に遊びにくる姪に話を振ってみたところ、その少年・笙一は、姪のクラスメイトで、彼を叱責していた男は父親だという。学校では明るく振る舞っているものの、父親が酒を飲んで眠るまで自宅に帰れないという笙一のことが気になる美和は、自宅近くのコンビニのイートインスペースで彼の姿を見かけ、つい声をかけるのだが……。

 本書には、美和と笙一のほかにも、さまざまな境遇の人間が登場する。それぞれの胸に痛みを秘めて実家に戻った姉と弟、初孫の誕生をきっかけに光と闇を見る一家、手紙だけをよすがに交流を深める男と女。深い傷を受けた人も、運命に翻弄される人もいる。しかし著者の筆は、そんな彼らを「救う」ことはしない。ただじっと彼らを見つめ、その生き様に寄り添うだけだ。そしてふと、そんな彼らの人生の中に、うつくしいものを見せる──他所からの光を受けて輝く、青い背と夕焼け色の腹をした魚。自分の人生を引き受けようと決めた日の、8月の晴れた朝。母と娘が通じ合った瞬間、あたたかにあふれる涙。宵闇迫るバスの中、どこにも行けないふたりの視界で、イルミネーションのように浮かび上がる降車のボタン。善きひとであれば、人間は幸福になれるだろうか。悔い改めれば、罪はすべて許されるのか。そんなことはないのだと、現実を生きるわたしたちは知っている。けれど今日、許されなくても、救われなくても、こうしてここに生きているのは、わたしたちもいつか、どこかで、そういったうつくしいものを見たからではなかったか。

 作中のある人物は言う、「誰の人生だって、激動だよなあ」。人の事情はさまざまで、その痛みを、苦しみを、すべて癒せる物語はない。だが、本作に書き込まれた多様な喜怒哀楽は、読み手の小さな内的世界の、あらたな窓となるだろう。満たされずとも死に切れず、たぶん明日も生きている。そんな人々にとってなくてはならない風景を、その窓の中には見ることができる。

文=三田ゆき

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