母の日は「自分の自慢話を“盛って”伝えること」が親孝行? みうらじゅんの名著『親孝行プレイ』をいま読み返す!

人間関係

更新日:2021/5/9

親孝行プレイ
『親孝行プレイ』(みうら じゅん/KADOKAWA)

 成人して社会人となり、お金を稼ぐ大変さも、日々の生活を維持する苦労も分かってくると、徐々に実感するのが“親のありがたみ”。その頃に「そろそろ自分も親孝行しなくちゃ」と感じはじめる人は多いだろう。

 だが、親孝行をするのは照れくさい。その照れくささゆえ、面倒くさくもなってしまう。特に、日本の家庭で男子として育てられてきた人には、両親に感謝の気持ちや愛情を伝えることが苦手な人も多いはず。「母の日にプレゼントを贈るなんて、照れくさくて一度もしたことがない」という人もいるはずだ。

 そんな人に、ぜひとも母の日の前に読んでほしいのが『親孝行プレイ』(みうら じゅん/KADOKAWA)。「ゆるキャラ」「マイブーム」といった言葉・概念を生み出してきた、おなじみ日本のサブカル界の重鎮の名著だ。

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 タイトルの「親孝行プレイ」も氏が生み出した言葉・概念のひとつ。そして本書のカギは、素直に実行することが難しい親孝行を「“プレイ”と割り切ろう」という提案にある。氏のいうプレイとは、「放置プレイ」などと同じ意味のプレイ。“ごっこ”“遊び”といったニュアンスだ。

 そして本書でみうら氏は、自身のことを「親コーラー(親孝行に熱心な親孝行家のこと)」と呼びつつ、このように述べている。

親を喜ばせるという行為は、もはや「心の問題」ではなく、実際にどう行動するか――つまりプレイの一環なのである。心に行動が伴うのではなく、行動の後に心が伴うのが、現代の親孝行なのだ。

 書きぶりはふざけているが、助言の内容は行動療法を下敷きにした自己啓発書のよう。納得感は非常に深い。そしてプレイと割り切ってしまえば、親孝行という「重い言葉」も確かに軽いものに感じられてくる……!

 またみうら氏は、「えなりかずきになれなかった者は、エナリストとして、『偽善』で親孝行をするべきなのだ」とも書いている。エナリストという概念のおもしろさはぜひ本書で確かめていただきたいが、「親孝行は偽善でもよい」という助言も、心の葛藤ゆえに親孝行に踏み切れない人には有効だろう。

自慢話に終始することが何よりの親孝行に!

 そして本書では、母親向け・父親向けそれぞれの親孝行について、具体的な方法も提案されている。「孫を連れて行くときは、夫側・妻側の両親に合わせて『似てる』プレイの内容を変える」「父親と寿司屋に行くときには、あえて初っ端に『うにください』と頼む」などなど、その内容は笑えるうえにハラオチなものばかりだ。本稿では、この母の日に電話でも実践できそうな親孝行法をひとつ紹介しよう。

 それは「自分の自慢話に終始する」というものだ。みうら氏はその提案に続いて、以下のように書いている。

ある程度の年齢になったとき、親がもっとも喜ぶトークとは『自分の子供はいかに頑張ってるか』なのだ。親孝行プレイは奉仕プレイ。諸君自身の恥ずかしさや照れはこの際、忘れなくてはならない。

 その具体例として、みうら氏は「自分の話は10倍に盛ること」を提案している。みうら氏は年収が1000万円なら1億と言い、イベントで2000人の観客が集まったら2万人と伝えてきたという。それは極端な例だとしても、「自分の仕事の功績や生き方の“立派さ”は少し大げさなくらいに伝えたほうがいい」という助言は非常に有用なものだろう。

 なおみうら氏は、「母親はいつまでも息子の恋人」とも書いている。息子=恋人が健康で生きているだけでも母親は嬉しいが、彼が社会人として立派な活躍をしていることが分かれば、その嬉しさや誇らしさは何倍にも増すはずだ。

 帰省もなかなか難しいこのコロナ禍、母の日には贈り物をして電話をする程度の親孝行を考えている人も多いだろうが、ぜひみうら氏を見習って、自分の自慢話を何倍にも盛る意気込みで伝えてみてほしい。来年の母の日までに、「その盛りまくった自分像に追いつく」ことを目標にすれば、それは自分の仕事の励みにもなるだろう。

 男性のなかには「仕事ばかりにかまけてロクに親孝行をしてこなかった」という人もいるだろう。しかし、その仕事を自慢話としてしっかり伝えれば、あなたの仕事の頑張りは立派な親孝行になるはずだ。

文=古澤誠一郎

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