疎遠だった母と他愛ない会話を交わした5日間。この物語には仕掛けが…! ユニークな構造に唸る『私の名前はルーシー・バートン』  

小説・エッセイ

公開日:2021/5/14

私の名前はルーシー・バートン
『私の名前はルーシー・バートン』(小川高義:訳/早川書房)

 病気を患い入院したルーシー。ある日気がつくと横になった自分の足元に長年会っていなかった母が座っていた。

「ママ?」
「はい、ルーシー」

 母はその日から病室に5日間寝泊まりし、しばらくぶりにルーシーと母との会話が始まる。

 昨年末、ピュリッツァー賞を受賞した『オリーヴ・キタリッジの生活』の続編、『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』が日本でも翻訳出版された著者エリザベス・ストラウトの5作目となる『私の名前はルーシー・バートン』(小川高義:訳/早川書房)は、母と娘の物語だ。

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 物語は入院した“私”であるルーシー・バートンとひょっこり見舞いに来た母とのぎこちない会話から始まる。

 貧しい子供の頃の思い出、家族を捨てて家から出ていった母の友だちの話、親戚の話…、どこにでもある取り留めのない親子の会話。けれどもルーシーにはいまだ母に対して良い娘であろうと取り繕うような、繊細で微妙な気持ちの隔たりや気遣いが見え隠れする。

 母との会話はなかなか重ならない。興味の対象、世代観、そして幼少期のわだかまりから互いに言い出せない感情。それでもルーシーは母との触れ合いに喜びを感じる。

“ああ、私はこの母が好きだ!”

 そんなルーシーのストレートな感情は作品中もっとも素晴らしくエモーショナルな瞬間だ。

 エリザベス・ストラウトの小説の妙味は、人々の感情の機微をさり気なくも言葉で微細に描く絶妙な筆運びにある。本作のルーシーと母との距離は、男女問わず親から離れて暮らす読者にとっては自分のことのような気がするだろう。また窓の外を見ていたルーシーが視線を戻すと足元に母が座っていた時の何気ない描写など、シンプルな言葉のリズムからその情景を淀みなく思い浮かべることができる心地よさは、読書体験としての快楽に溢れている。

 また本作の構成は日記のような細かい章にわかれ、ルーシーの思い出や感情が時折、時代や年齢を飛び越えて読者の心に入り込んでくる。後の自分に影響を与えるニューヨークの服飾店で出会った女性作家、夫との出会い、父の過去、恋心を抱いていた先生、そして母との会話に挿し込まれる“私”の話。

 物語の後半、章はさらに細かくなっていく。実はそこで仕掛けが物語に存在することに気付くのだが、タイトルにもある一人称の「私」の意味がわかるにつれ、この小説のユニークな構造に溜息をつきながら読者は本を閉じることになる。

 エリザベス・ストラウトはあるインタビューでこう言った。

「すべてのフィクションには常に自伝がある」

 しかし本作は読者自身の自伝とさえ重ねることができるよう、ほんのりと透き通る言葉で紡がれているような感覚を覚える。

『私の名前はルーシー・バートン』は、母を思う“私”を読者自身に重ねられる物語なのだ。

文=すずきたけし

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