まるで令和の『サザエさん』!? 益田ミリが、平坦な日常にささやかな幸せを見出す人々を描く! コロナ前後で変わってしまったもの

マンガ

公開日:2021/5/25

沢村さん家のたのしいおしゃべり
『沢村さん家のたのしいおしゃべり』(益田ミリ/文藝春秋)

 益田ミリさんの『沢村さん家のたのしいおしゃべり』(文藝春秋)は、書名の通り、沢村さん夫婦とその娘の何気ない日常を切り取ったエッセイ風漫画だ。図書館やジムに通って定年後の生活を謳歌している父の四朗(70歳)。料理上手で人付き合いやおしゃべりが好きな母の典江(69歳)。未婚で彼氏もおらず、実家で安穏と暮らすOL・ヒトミ(40歳)。この3人やその友人が本書の主人公だ。

 3人の平均年齢は60歳。少子高齢化や未婚、晩婚が進む世相を反映した設定だろうか。あるいは、実家暮らしの居心地が良すぎてひとり身も悪くない、というのがヒトミの本音のようにも映る。彼女の周囲ではドラマチックなことは起きないし、さしたるイベントもない。バレンタインデーには自分用に高級チョコを買って満足。色恋沙汰こそないが、長閑で平穏で平凡な暮らしを送っている。

 ただし、ヒトミたちはこの平凡な毎日の中に能動的に悦びを見出し、ささやかな幸せを掬い取る。

〈春とか秋の気配がわかる時ってさ ちょっと淋しいんだけどちょっと嬉しい〉

 とはヒトミの友人の言葉だが、このちょっと嬉しい、の「ちょっと」がポイントだ。ちょっとでいい、ちょっとで満足なのである。

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 象徴的なのが、ヒトミたちが女子会で今年のハーゲンダッツの新作が気になる、と盛り上がる話。アイスに対して「毎年毎年我らのためにがんばってくれて」「残業帰りの唯一のデザート」「味方だよ」と3人が口をそろえて嬉しそうに語る。しかもこの話のタイトルは「有意義な話」。逆説的で皮肉めいているようだが、ヒトミたちにはこれくらいの些事が本当に幸せだったりするのだろう。

 もうひとつ、益田作品の特徴である絵柄に触れないわけにはいかない。益田さんの絵柄はどのコマも余白と隙間だらけ。背景が描かれるのは大抵ひとコマかふたコマぐらいで、あとはテーブルとイスしか出てこなかったりする。それでいて、湯村輝彦や蛭子能収といった「ヘタウマ」の系譜とも異なる朴訥さがある。これは間違いなく彼女の武器であり、個性ではないだろうか。

 特に、細部までみっちり描き込まれた漫画は疲れてしまう、という読者も本書なら気楽にすらすらと読めるはずだ。よくよく考えると重い話も、飄々とした絵柄で中和されることで軽妙な印象を与える。ほっこりしたい時は益田さんの絵を眺めているだけで、肩の力が抜け、癒されるのだ。

 それにしても、本書の棹尾を飾る「一番の贅沢」には思わず嘆息が漏れた。「みんなでおしゃべりできるのが一番の贅沢だなって」と母の典江は言うのだが、それを受けた以下のヒトミのモノローグには胸を打たれずにはいられない。

〈みんなで集まって食事や会話を楽しむこと、そんな当たり前のことがなんらかの理由でもしも突然世界中の人々から取り上げられてしまったとしたら……そんなことあるわけないか〉。

 しかし「そんなこと」は本当に起こってしまった。コロナ禍では日々の生活をやりくりしていくだけで精一杯。飛沫感染を恐れ、〈みんなで集まって食事や会話を楽しむ〉ことすらできない。クレジットを確認すると、これはコロナ禍で書き下ろされた話で、本の帯には「会って話せるって幸せだ。」とある。本書はこれまで当たり前だった幸せを、我々が奪われてしまった現実を突きつけてくるのだ。

 皆が共感する「あるある」ネタを多数織り交ぜてきた益田さんの作品だが、皮肉というか残酷というか、まさかパンデミックが「あるある」を誘発するとは思ってもみなかった。平坦な日常が淡々と描かれる益田作品を、筆者は「令和の『サザエさん』」だと思っていたが、その平和だった日々には既に裂け目が入ってしまった。この状況下において、益田さんのオフビートで訥々とした作風は今後どう変わっていくのだろうか。そんな思いを巡らせてしまった。

文=土佐有明

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