元チャットモンチー・高橋久美子初の小説集『ぐるり』――すれ違い交差する人たちから目が離せない、新たな世界を予感させる19編!

文芸・カルチャー

更新日:2021/5/31

ぐるり
『ぐるり』(高橋久美子/筑摩書房)

 元チャットモンチーのドラマーで、現在は作詞家、詩人、作家として活躍中の高橋久美子氏が初の小説集『ぐるり』(筑摩書房)を上梓した。19の短編から成る本で、それぞれのストーリーは一応独立している。だが、この手の本によくある「どこから読んでも大丈夫」という惹句は本書には当てはまらないのでご注意を。ある人物が時空を超えて複数の短編に登場するなど、精巧に仕掛けられた構成の妙が本書の醍醐味だからだ。

 例えば、複数の男女のすれ違いやつながりを緻密に描く手さばきは、『愛がなんだ』などで知られる今泉力哉監督の映画に近いところも。人間交差点的な作品、とでも言えばいいだろうか。絡み合い、こんがらがった人間関係が終盤に向かってクリアになってゆくのは、本書にも今泉作品にも当てはまる。思わず人物相関図を作ってしまいたくなる、という読者もいるのではないか。

 本書所収の19の短編は、どれも設定がユニーク極まりない。男子学生が主人公の「蟻の王様」は、彼が地下に通じる扉を開くと、蟻の王国が広がっているという話。チョコレートを細かく削ったものを学生が蟻に差し入れする。ファンタジックな情景描写は著者の想像力の豊かさを物語っている。

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「星の歌」は広大な砂漠の砂粒から身を守るために、防護用のヘルメットを被り、長年シェルターにこもって生きていた人類の話。ヘルメットには翻訳機能もあり、声に出してしゃべらなくてもコミュニケーションが可能となる。そんな中、無謀を承知でシェルターの外に出てみたらどうなるか……という展開が面白い。

「四月の旅人」は未来に暮らす主人公が、周囲の人が「時間を切り取れる」装置を使って想い出を蓄積していることに驚く。〈今見ている景色だけでも毎日わくわくして楽しいのに、それ以上に眺めたいものがあるだろうか〉とこぼすのだ。「インスタ映え」とやらに感じた著者の違和感を感じ取ることができる、秀抜な作品だ。

 いちばん驚いたのは、タイトルがオチをほのめかしている「逃げるが父」。公職選挙法に違反した元・ウグイス嬢が警察署に呼び出しを食らい、淡々と取り調べを受ける話だ。担当の刑事は、彼女の棒読みの台詞を事務的に書き留める。その刑事の心中はこんな風だ。

〈痴漢や窃盗の冤罪も今日みたいに、流れる台詞を書き留めて、ただ俯いて処理してきた(中略)人、一人の正義なんて海に浮かぶ棒きれと同じなのだから、大きな流れの中で抗ったって沈むだけだ〉

 しかし、その後ある驚くべき事実が判明し、前述のような刑事の諦念は大きくくつがえされる。彼の思考や理念がぐらつく瞬間は、読んでいて嫌な汗が流れてしまったほど。いわゆる「イヤミス」がそうであるように、後味は決してよいものではない。

 また、細部にフォーカスを当てると、著者の作家としての成長ぶりを窺える。詩的飛躍の巧さや観察眼の鋭さもさることながら、比喩表現の引き出しの多さや独自性に舌を巻く。ここで「自販機のモスキート、宇宙のビート板」から3つほどその例を挙げよう。タイトルからしてセンスの良いこの短編ひとつとっても、比喩の多さは目を惹く。

 夜のキャンパス を〈湿気ったクラッカーの上みたいだ〉と書き、自販機でドリンクを買うと〈子犬が階段を駆け下りるみたいに〉おつりが出てくるという。主人公の女性が想いを寄せる男性を、〈一見強い光で輝いているのに、放っておくと消えてしまいそうな彗星のような人〉と形容。迷いながらもしっくりくる形容を、探り探り掘りおこしている著者の姿が浮かぶ。

 あとがきで著者が〈それぞれの物語が僅かにクロスしながら繋がっている世界を描いてみようと思った〉と書いているように、19編の小説は時々交叉したりすれ違ったりしながら、書名の通り円環を描いていく。こうした小説はこれまでもたくさんあったし、これからも作られていくだろう。だが、先述したような作家としての進歩と成長に下支えされることで、本書は揺るぎない普遍性を獲得している。次はぜひ長編小説に挑戦してほしい。

文=土佐有明

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