手塚治虫から『リウーを待ちながら』まで! グラフィック・メディスンという概念の登場で新たな使命を帯びた「医療マンガ」の歴史

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更新日:2021/6/11

日本の医療マンガ50年史
『日本の医療マンガ50年史』(一般社団法人 日本グラフィック・メディスン協会/ SCICUS)

 先ごろ発売された『日本の医療マンガ50年史』(一般社団法人 日本グラフィック・メディスン協会/ SCICUS)は、その名の通り医療をテーマにしたマンガが登場した1970年から現在までの100作品を、「医療マンガ」の観点でレビューしている珍しいカタログ本だ。

 なぜ今、「医療マンガ」に特化したこのような本が発売されたのかは後述するとして、まずは掲載されている「医療マンガ」たちを紹介していこう。

 本書のレビューは、マンガという媒体で初めて医療の世界を扱った手塚治虫の1970年の作品『きりひと讃歌』からはじまる。本作は難病の解明、医学界の権力闘争、病の差別など、今日の医療マンガで扱われる問題がほぼ網羅されている記念碑的作品だ。

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 同じく手塚治虫の『ブラック・ジャック』(1973)は累計1億7000万部を超える医療マンガ最大のベストセラーであり、学校図書館、公共図書館に所蔵され読まれ続けている。本作の影響で医師を目指した人も多数いるなど今でも大きな影響力を持ち続けている。また手塚は1981年に幕末の蘭方医を描いた『陽だまりの樹』も発表し、日本の医療マンガの幕開けが医師免許を持った“マンガの神様”手塚治虫からはじまるというのが面白い。

 

 1990年代に入ると、映画『羊たちの沈黙』(1991年)を皮切りに異常心理ものがブームとなり、地下鉄サリン事件、神戸連続児童殺傷事件が発生するなど、世相的に人間の内面へと関心が集まっていた。そのただ中で登場したのが浦沢直樹の『MONSTER』(1994年)。天才外科医を主人公にした本作はサイコサスペンスマンガの最高峰と呼んでも過言ではない。

 佐々木倫子(本書では『動物のお医者さん』も紹介されている)の『おたんこナース』(小学館)、こしのりょうの『Ns’あおい』(講談社)など看護師を主人公とした作品もこの90年代から2000年代初めにかけて現れている。

 2000年代には医療従事者不足や僻地医療の問題を取り上げた山田貴敏『Dr.コトー診療所』(小学館)、そして医療の様々な問題を研修医の眼を通して描いた『ブラックジャックによろしく』(講談社)が登場する。

 2000年代後半からは著者自身による統合失調症、顔面複雑骨折の治療体験などを危うい筆致で描いた『人間仮免中』(イースト・プレス)や、エッセイマンガというジャンルの登場によって、プロの漫画家だけではなく、患者やその家族自身であるアマチュア作家が描く実録の医療マンガが登場していく。

 また海外では、HIV患者であったパートナーとの生活を描いたフレデリック・ペータースの自伝マンガ『青い薬』(青土社)や、ステージ4の肺がんと診断された母親の闘病生活をその息子が2004年からWEB上で発表し評判となった『母のがん』(ちとせプレス)などが紹介されている。

 そしてコロナ禍では、コロナウイルス蔓延前の作品でありながら「新型ペストが日本で発生したら」を描き、パニックサスペンスものとして再評価された朱戸アオ『リウーを待ちながら』(講談社)や、2020年の6月より100日間Twitter上で毎日短編マンガが投稿されたマンガプロジェクト「Manga Day to Day」も取り上げている。

 これら日本の医療マンガを本書を通して眺めると、そこには医師や医療従事者だけでなく、患者やその家族の視点から描かれたマンガが存在することに気付く。冒頭で触れたように、本書が登場した理由がここにある。日本のマンガ文化に「グラフィック・メディスン」という考えが重なっているからなのだ。

「グラフィック・メディスン」とは、2007年にコミックアーティストのイアン・ウィリアムズを中心に提唱され、マンガという媒体が医療をどのように表現してくのか模索していく概念である。

 たとえば『ブラックジャックによろしく』では末期がん患者の女性がとても聡明で生きる術を模索している様が描かれる。そこには実際の医師の感情を動かす言葉も登場する。

 このように医療マンガは、体や気持ち、サイン、症状といった、患者やその家族しか持っていないそれぞれの感情、視点などをマンガの表現によって医療従事者が理解することを可能としている。患者と医療従事者とのコミュニケーションツールとしてマンガが持っている表現力の可能性に注目が集まっているのだ。

 またそこには個々の患者の症例が客観的症例として扱われることで、それまで一括りにされた医療の研究方法への挑戦にも繋がる。

『日本の医療マンガ50年史』は、多種多様な視点、題材を表現してきた豊饒なマンガ文化がある日本において、「グラフィック・メディスン」という概念が汲み取ることが可能な作品が国内には豊富に存在し、かつマンガという存在が重要な社会的使命を帯びていることが実感できる内容となっている。マンガ読者だけでなく、医療関係者、医療施設などにも参考にしてほしい一冊である。

文=すずきたけし

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