『名もなき王国』著者最新作! 氷漬けの死体の謎を追う幻想に彩られた社会派ミステリー

文芸・カルチャー

公開日:2021/6/5

忘れられたその場所で、
『忘れられたその場所で、』(倉数茂/ポプラ社)

 この世界には、見えているはずなのに、見えなくなっているものがたくさんある。たとえば、差別。どんなに酷いことが行われていようとも、「それが当たり前だ」と周囲が思えば、その惨状は目にはうつらない。おかしいと気づけなくなってしまう。今の世の中にだってたくさんの差別があるが、きっと昔は無数の差別が蔓延っていたのだろう。そんな歴史を私たちはどのくらい知っているだろうか。その過去の悲劇を知ることは、これからを生きていく上で大切であるに違いない。

『忘れられたその場所で、』(倉数茂/ポプラ社)は、幻想に彩られた社会派ミステリー。著者の倉数茂氏といえば、『名もなき王国』や『あがない』など、社会問題を扱った幻想小説で知られる大人気作家だ。本作は、東北の田舎町・七重町を舞台とした『黒揚羽の夏』、続編の『魔術師たちの秋』のその後を描いた作品であるから、元々のファンはその内容に当然惹き込まれるだろうし、未読という人がこの作品から読み始めてもすぐにこのミステリーの虜になるに違いない。本作は、倉数作品らしく幻想小説としても楽しめるが、主に刑事の視点で綴られ、警察小説としても抜群に面白い。一冊でさまざまな味わいを楽しめる傑作ミステリーなのだ。

 

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 滴原美和は、人ならざるものが見える女子高生。ある吹雪の日、道に迷った彼女は、見知らぬ街に迷い込んでしまった。その一角には、割られた窓ガラス越しにじっとこちらを見ている男がいる。近づいてみると、その男は氷漬けになったまま死んでおり、少女に見えていた街並みは一瞬で消え失せていた。一方、刑事の麻戸浩明は、死体発見の報を受け、現場に駆け付ける。被害者の斗南という男性は、数日間体の自由を奪われ、食事も与えられないという残虐な方法で殺されたらしい。浩明はシングルマザーの女刑事・川野絵美とともに斗南の過去を探っていくことになる。

 浩明は捜査一課に配属されてからまだ7カ月。相棒となる絵美も異動してきたばかりだ。絵美は変人として知られるが、優秀な検挙成績を誇る刑事であり、浩明は最初は絵美の捜査に付き添う形で謎を追っていく。だが、さまざまな情報は手に入るが、真相は見えてこない。たとえば、遺体で発見された斗南は、遺体発見現場の一軒家で暮らしていたようだが、その場所はかなり辺鄙。どうしてあの場所に住むことを選んだのか。元々は車上生活をしていたという斗南が、その一軒家に住む費用をどうやって捻出したのか。謎は謎を呼ぶばかりだ。

 おまけに、警察という組織には軋轢が多い。県警本部と所轄の対立があれば、刑事同士でも揉め事が絶えない。そして、絵美との関係にも亀裂が走る出来事が――。ひとりになった浩明はどうすべきかと喘ぎ苦しむ。浩明が悩みや葛藤を抱えながら、事件の真相を追い求めるその姿に読者は惹き込まれてしまうことだろう。

 過去と現在、日常と非日常が連なり、重なり合うことで見えてくる世界から目が逸らせない。見えてきた悲しい過去から目を逸らしてはならないと思わされる。幻想的な社会派ミステリーの余韻はきっとあなたの胸に宿り続けるに違いないだろう。

文=アサトーミナミ

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