辻村深月2年ぶりの長編小説! カルト集団と批判された学校の敷地から発見された白骨死体をめぐる、痛みと祈りの物語

文芸・カルチャー

公開日:2021/6/9

琥珀の夏
『琥珀の夏』(辻村深月/文藝春秋)

〈かつて自分が信じていたものを誤りだったと大人が捨てても、その大人が築いたものに、子ども時代を使われてしまった子はどうなるのだ。その子たちに対する責任は誰がとるのか――〉。2年ぶりの長編小説『琥珀の夏』(文藝春秋)でこの一節に触れたとき、辻村深月さんはずっと、子どもをとりまく社会と戦い続けてきた作家なのだ、と思った。

 親と離れて子ども中心の共同生活を送ることで自立心と自主性を、〈問答〉などの教育によって思考を言葉に変える力を育んできた〈ミライの学校〉。かつて、ある事件をきっかけにカルト集団として批判された学校の敷地から子どもの白骨死体が発見され、行方知れずの孫ではないかと案じた依頼人のかわりに、弁護士の法子は東京に居をかまえる学校の事務所に向かう。けれど実は法子もまた、かつて〈ミライの学校〉で過ごしたことのある子どもの一人だった。

 といっても法子が参加したのは夏の合宿、それも小学4年生からの3年間だけ。当時、クラスになじめず友達のいなかった法子にとって、現実を忘れられるその場所での体験は確かに特別なものだったけれど、40代になった今も後生大事に抱えているかといえば、そうではない。ニュースを見て久しぶりに、6年生の夏に消えていたミカという友達のことも思い出し、もしや埋められていたのは彼女なのでは……と胸にざわつきを覚えていた。

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 物語は小学生時代のミカとノリコ、そして40代の法子の視点が交錯しながら進んでいく。果たして白骨は誰のものなのか。その子はなぜ命を落とし、埋められてしまったのか。そもそもミカはどこへ消えたのか。〈ミライの学校〉は何を隠しているのか――。過去が明かされていくほどに深まる謎に、読む手が止まらないその筆致はもちろんなのだが、自分の信じてきた美しい思い出を覆されていく法子の葛藤もまた、読みどころのひとつだ。

すべてが煌めきに満ちていたわけでもなかった、けれど「ずっと友達」と約束したミカへの想いは本物だったし、〈問答〉のおかげで考える力を養うことができたのも本当だった。けれど今、少しでも彼らを肯定するような発言をすれば、カルトにかぶれた危うい人として見られてしまう。かといって、共同生活をしていたわけでもない法子は彼らの“仲間”でもなく、今になって孫の行方を捜す祖父母と同様、ずっと彼らを放っておいた無責任な外野の一人だ。当事者になりきれない法子は、だからこそ真実を知りたいと願うのだけど――そのあやうさを、辻村さんはときに残酷に描きだす。思い出を美化し、わかりやすい物語にすることで、納得しようとしてはいないだろうか。誰にも見せることのできない痛みを抱えてうずくまっていた子どもたちを、ないがしろにしてはいないだろうか、と問いかける。

〈ミライの学校〉は間違っていた、とどれだけ大人に言われようとも、子どもたちにとってそこは切実な居場所だった。そこで過ごした時間が間違いだったなんて、誰にも言えない。たとえ罪を犯してしまったとしても、そのとき大切だと思ったことは信じ続けていいのだと、本作を通じて辻村さんは力強く背中を押してくれた気がする。そして、子どもたちをその場所に置いてしまったのが他でもない大人たちである以上、救い出すのもまた、大人たちの役目であるはずだと。そんな怒りと祈りを受けとって、果たして自分たちには何ができるだろう、と考える。

文=立花もも

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