幸せな家族が破滅するスイッチがあったら、あなたは押しますか? 第63回メフィスト賞受賞作『スイッチ 悪意の実験』

文芸・カルチャー

更新日:2021/6/21

スイッチ 悪意の実験
『スイッチ 悪意の実験』(潮谷験/講談社)

 辻村深月さんや西尾維新さんら人気作家を輩出してきたメフィスト賞。近年は、ある日人間が異形の姿に変わってしまう『人間に向いてない』(黒澤いづみ/講談社)や、ロースクールの学生が裁判を模したゲームに興じる『法廷遊戯』(五十嵐律人/講談社)など、特異な設定から人間の本質に迫る作品が目立つ。最新の第63回受賞作『スイッチ 悪意の実験』(潮谷験/講談社)も、まさに同賞らしい衝撃的な内容だった。普通の大学生に“他人を破滅させるスイッチ”が配られ、思いもよらぬ事件を引き起こす。

 何かを決めることが苦手な女子大生の小雪は、ある日先輩からアルバイトに誘われた。著名な心理コンサルタント・安楽(あらき)が主催するもので、ひと月で報酬はなんと100万円以上。だが、その内容はいかにもあやしい。参加者のスマホには「スイッチ」のアプリがインストールされ、押せば幸せな家族がひとつ“破滅”するという。

 安楽の目的は、理由のない「純粋な悪」の存在を証明すること。報酬は、スイッチを押しても押さなくても変わらないから、お金を目的に押すことはない。また、参加者が対象の家族と関わりがないことが確認されていて、怨恨のために押すこともない。ゆえに、この状況でスイッチを押せば、それは「純粋な悪」かもしれないというわけだ。

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 もし小雪の立場だったら、押さずに1カ月をやり過ごせるだろうか。自分は大丈夫だと確信していても、押してしまう人はいるのではないか…。さまざまな想像が膨らみ、引き込まれる設定だ。果たして押す人物は現れるのかと気になるが、本作は小雪ほか参加者がスイッチを押すか迷う小説…ではない。第2章のラストで、思いもよらぬ“事件”が起こり、実験は謎を残したまま終わってしまう。

 その“事件”が起きた瞬間、「純粋な悪は存在するのか?」という哲学的な問いは、「誰が事件を起こしたのか?」というミステリー的な問いに切り替わる。この転換がたまらなくおもしろい。事件が起きた時間はわかるが、誰がやったのかはわからない。なぜ、実験の最中にわざわざやったのかもわからない。それは安楽が求める「純粋な悪」なのか? それとも理由のある犯行なのか? スマホを使った事件ひとつで、まるで殺人事件さながらの謎解きが始まる。

 本作は、物語が進むたびに読み味が変わる、不思議な小説だ。タイムテーブルで犯人を割り出すロジック重視のミステリー色を出したかと思えば、宗教論が展開され悟りとは何ぞやという話になり、最後には情感たっぷりの人間ドラマになっている。「純粋な悪は存在するのか?」という問いから始まった物語は、序盤からは想像もつかない場所にたどり着く。設定に惹かれた人ほど、結末には衝撃を受けるはずだ。ミステリー小説として、こんなやり方があったのかと驚いた。

「純粋な悪」を考えることは、理由のある悪について考えることであり、純粋な善について考えることでもある。本作には、小雪や安楽をはじめ、いろいろな思いを抱え(あるいは抱えずに)、いろいろな行動をする人物が登場する。それを“純粋さ”という軸で読み解けば、何が見えてくるのか。読者は、自分の奥底にあるものを見つめざるを得ないだろう。

文=中川凌 (@ryo_nakagawa_7

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