命をつなぐ“たすき”――心臓移植が必要となった弟を前に、兄とその家族が出した結論とは?

文芸・カルチャー

公開日:2021/6/17

たすき
『たすき』(田原昌博/幻冬舎)

 毎年、元日の翌日と翌々日に開催される箱根駅伝。僕は1位の大学がゴールテープを切る瞬間よりも、各中継所で選手から選手へたすきがつながる瞬間に感動する。テレビに映る時間はきっと10秒もない。しかし、たすきを介して託す者と託される者の思いが直接つながるのは、この瞬間だけのような気がするのだ。

 医療の分野でも、駅伝のように託す者と託される者がつながる瞬間がある。臓器移植だ。

『たすき』(田原昌博/幻冬舎)は、臓器移植をテーマに書かれた小説。もちろん物語はフィクションだが、本書を読了すると臓器提供によってつながれる命の尊さ、また万が一のとき、臓器を提供するかどうかを決断する難しさなどを、感じることができるだろう。

advertisement

 本書の主人公は奥田由大。駅伝部に所属する、駅伝が大好きな中学1年生だ。幼馴染の女子マネージャー・内海泉と、小学生時代からマラソン大会で優勝を争ってきた黒木正とともに、駅伝に青春をかける日々を送る。

 そんな彼らに臓器移植について考えるきっかけが訪れたのは、夏休み前の終業式の日だ。彼らは担任の原から「夏休みにドナーとして臓器提供の手術を受ける」という話を聞く。まだ中学生の由大にとって「臓器移植」「ドナー」「臓器提供意思表示カード」など、初めて耳にする言葉ばかり。そこで原は「これを機に臓器移植について家族と話し合い、作文にしてきてほしい」と夏休みの宿題を出す。ただこの原の思いつきは、中学生になりたての由大たちにとって良い成長の糧となった。由大は少しずつ臓器移植について知識を深め、自分なら提供を望むかどうかを考えるようになっていく。

 日本の「臓器移植法」は、2010年に改正された。改正前は15歳未満の患者、または本人の生前意思表示がない場合、臓器提供は禁じられていたが、現在は本人の生前意思表示がなくても家族の承認さえあれば、年齢問わず臓器提供が可能である。つまり、いまは由大たちもドナーになり得るのだ。これはあくまで筆者の予想だが、原が「臓器提供」に関する話し合いを夏休みの宿題として出したのは、彼らとその家族に万が一何かあったとき、臓器提供に関して迷わないようにするためだったのかもしれない。事前に家族で話し合い、考えや思いを共有できていれば、その人の最期の願いは叶えられる。リアルな世界を生きる僕らも、万が一のときのために、身近な人と臓器提供について考えを共有しておくべきなのかもしれない。

 さっそく両親、姉、弟の5人で話し合う由大。さまざまな考えが飛び交うなかで、由大は「生きる可能性が0.1%もないなら、自分の臓器を誰かに役立てたい」という答えを導き出す。ただなぜかすっきりしない。本当にそれで良いのかと心のどこかで思ってしまうのだ。その理由はきっと、彼がまだ人の死や臓器移植そのものを身近な存在として考えられていないから、また実際にドナーとなった人とその家族の思いがわからないからだろう。どうしても人の死と臓器提供について想像の域を超えられずモヤモヤする由大。きっと本書を読みながら共感する人も多いはずだ。

 物語の後半では、そんなモヤモヤを抱えた由大に2つの出来事が起こってしまう。1つは泉の転校、もう1つは由大の弟・孝太の難病発症だ。由大にとっては、どちらも衝撃が強すぎた。特に孝太は、原因不明の疾患「拘束型心筋症」と診断がくだされ、心臓移植しか治療法がないと告げられてしまう……。もし心臓移植が可能になったとしても、それは誰かが亡くなったことを意味する。本当に移植手術を受けて良いのか迷う、由大とその家族。

 彼らはこの問題にどのような結論を出すのか。そして孝太に移植可能なドナーは見つかるのか。物語は衝撃の結末を迎える。詳細は本書を読んでいただきたい。

文=トヤカン

あわせて読みたい