1人の転校生が崩したおだやかな日常。傷を抱えた少年少女の切なくひりつく群像劇【PR:ドワンゴ】

文芸・カルチャー

更新日:2021/7/9

傷口はきみの姿をしている
『傷口はきみの姿をしている』(九条時雨/KADOKAWA)

 待ち合わせの場所に向かう電車の中や、最近はWebミーティングの参加ボタンを押す前に、考えるくせがついている。これから顔を合わせる人には、“わたし”をどんなふうに見せていたっけ。もともとの自分からそう大きく変えられるものではないけれど、ときどきそれまでとは違うキャラを見せてしまい、相手も自分もなんとなく気まずい思いをする──そんな経験は大なり小なり、多くの人にあるのではないか。

『傷口はきみの姿をしている』(九条時雨/KADOKAWA)の登場人物たちも、決して“ありのままの自分”をさらけ出して生きているわけではなさそうだ。

 高校2年生の卯月遥臣(うづき はるおみ)は、今のクラスが気に入っている。とくに悪意も派閥も見られない、おだやかなクラス。その平和な雰囲気は、遥臣にとって好都合なものだった。噂話には疎くても、クラスメイトから声がかかれば、角が立たず、嘘にもならない相槌を打つ。そうやって自分の内側に踏み込まれることを避け、他人と深いかかわりを持たずにいれば、とある事情から女子を苦手としていることも、隣家に住む従姉に嘘を吐き続けていることも、表沙汰にならずに済むからだ。

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 ところが、彼のおだやかな日常は、異分子が投げ込まれることで崩れはじめる。

 季節外れの転校生・鷹宮螢(たかみや けい)は、とんでもない美少女だった。スレンダーな体型、真っ直ぐでつややかなロングヘア、薄い唇に白い肌。それらの清楚なパーツを裏切るように、切れ長で吊り上がった目が、無遠慮で恐れ知らずの性質を剥き出しにしている。転校初日の挨拶で、名前と「よろしく」しか口にしない無愛想な彼女の態度に、教室は静まり返った。だが、遥臣はひとり、熱いため息をこぼしそうになっていた。彼女は、ふつうの女子とは違う。ひと目惚れではなく、「期待」したのだ。彼の期待を裏づけるように、螢は気のない声で言う。

「……よろしくって言ったけど、ボクは、深く関わる相手は自分で選ぶことにしてる」
 周囲の気配がまた変わった。
『ボク』という一人称に反応したひともいれば、たとえ社交辞令でも、ないよりはマシだった歩み寄りの発言をいきなり撤回したことに顔をしかめたひともいる。(中略)
「だから、わざわざ気を遣って話しかけてこなくていいよ。そうじゃないならべつだけど。そういうことで、改めて」
 よろしく──と。

 遥臣はいよいよ胸を躍らせ、そして同時に不安も覚えた。彼女なら、好きになれるかもしれない。けれどそれでは、自分自身に消えない傷をつけた「過去の自分」と変わらない──。取り返しのつかない過去を背負い、他人と深いつながりを持つことを避けてきた彼だが、螢から目を離すことはできなかった。かくして遥臣は、建前と本音、体裁と真意にずれがある人物に興味を持つ彼女に巻き込まれ、周囲の人の胸のうちに踏み込んでいくのだが……。

「ありのままでいい」とはよく言われるが、ほんとうに“ありのまま”でいられる人間が、はたしてどれだけいるだろう。好きな人には愛されたいし、ライバルよりも自分を大きく見せたい。クラスメイトや同僚には頼られたいし、大切に思うものほど手放したくない。本音を均一に押し込める制服を着せられた思春期はもちろん、大人になった今でさえ、そうした真意を素直に表に出すことは困難だ。

 建前と本音の摩擦から生じた傷口は、大きければ大きいほどに、簡単には治らない。もちろん、本書を読了したあともなお、憧れは遠く、後悔は消えず、失われたものは戻らないままだろう。しかし、そこに傷があることを自覚すれば、手当てができる。誰もが、自分さえ知らずに抱えていた傷を、きちんと「痛い」とつぶやけるようになる──この青春群像劇には、そんな効能があるように思われる。

文=三田ゆき

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