娘に言えない秘密と30年前の事件の真実…道尾秀介『雷神』が突きつける人の感情の危うさ

文芸・カルチャー

公開日:2021/6/30

雷神』
『雷神』(道尾秀介/新潮社)

 ミステリーを読んでいていちばん怖いのは、殺人者に肩入れしてしまうことだ。どんな理由があっても人を殺していいわけがない。情状酌量の余地があったとしても、罪は罪。踏み越えてはいけない一線というものがこの世には存在する。そう信じているはずなのに「この罪は露見してほしくない」「この人は悪くない」と思ってしまうとき、自分もまたいつ殺人者に転じるともしれないのだと震えてしまう。道尾秀介さんの最新小説『雷神』(新潮社)が突きつけてきたのも、そんな、理由があれば罪を犯すかもしれない自分の弱さと恐怖だった。

 15年前に妻を不慮の事故で亡くし、小料理屋を営む父親を手伝いながら、ひとり娘の夕見と3人で暮らしてきた藤原幸人。だが、父親が亡くなって3カ月が経ったある日、不穏な電話が幸人を襲う。いわく、娘に秘密をバラされたくなければ、金をよこせ――。夕見にはひた隠しにしてきた妻の事故の真相を暴かれることをおそれた幸人は、夕見の提案にのって、姉の亜沙実とともに旅行に出ることを決める。だがその行き先は、幸人と亜沙実が生まれ育った新潟県の羽田上村。そこには、亡き妻にも明かすことのできなかった幸人のもうひとつの秘密が眠っていた……。

 羽田上村の伝統である、年に1度の祭り〈神鳴講〉。31年前、その準備を手伝っていたはずの幸人の母は、夜の冷たい川に倒れているところを発見され、その後死亡が確認された。そしてその翌年、村の有力者たちが祭りで食べるキノコ汁に毒キノコを盛った嫌疑が父親にかけられる。有力者4人のうち2人が死亡した重大事件。証拠不十分で逮捕には至らなかったが、同じ祭りの日、落雷が亜沙実を直撃し、そばにいた幸人も側雷を受ける。病院に運び込まれた2人を見て父親がつぶやいた〈子どもらに罰が当たった〉という言葉の真意とは? 父は本当に、殺人犯だったのか? 素性を隠して真相を探る幸人の前に、さらに電話で脅迫してきた男が現れる。なぜこの村に? 男はいったい誰なのか? そしてあの日と同じように雷が落ちたその日、新たな悲劇が村を襲い、幸人はさらなる秘密を抱え込むことになる。

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 謎が謎を呼び、人間模様も複雑にからみあって、とにかく最後まで気が抜けない。ミステリーとしての仕掛けが隅々まで施されているのはもちろんのこと、いったい何をもって罪と呼ぶのか、人が人を裁くことなど本当にできるのかと、人間が背負う業の根幹をもえぐりだすから、読み終えたあとしばらくは感情を立て直すことができなかった。冒頭にも書いたように、加害者と呼ばれる立場の人にこそより感情移入し、肩入れしてしまうから、なおさらだ。

 善意と悪意。正義感と残虐性。愛情と憎しみ。いともたやすく反転する人の感情を、その積み重ねによってもたらされる不条理な現実を、これまでも道尾さんは描きだしてきたけれど、今作はあまりに容赦がない。けれど、じゃあ、読まないほうがよかったかといえば、読んでよかったとしか言いようのない面白さだから困ってしまう。〈これから先、僕が書く作品たちにとって、強大なライバルにもなりました〉と道尾さん自身がコメントを寄せるのも納得の、悶絶必至の1作なのである。

文=立花もも

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