スマホを結婚指輪代わりに贈るのが北朝鮮でブーム?! 資本主義化する北朝鮮の実態

社会

更新日:2021/7/28

金正恩と金与正
『金正恩と金与正』(牧野愛博/文藝春秋)

 北朝鮮は4月6日、「選手らを新型コロナウイルスから守るため」という理由で、東京オリ・パラへの不参加を発表。そして6月9日、朝日新聞デジタルなどのメディアが「国際オリンピック委員会(IOC)の理事会が8日、北朝鮮の不参加を容認した」と報じた。

 もしかすると、不参加という決定をいちばん悔やんでいるのは、大のスポーツ好きとして知られる北朝鮮の最高指導者、金正恩(キム・ジョンウン)氏本人かもしれない。

 それほどにここ数年、正恩氏がスポーツによる国威発揚に力を入れてきたことや、一方で、コロナ感染を警戒しているのもまた事実であり、そこには、深刻な医療体制の不備と正恩氏の健康不安も関係していることなど、最新の北朝鮮事情を教えてくれるのが、訪朝経験もあるジャーナリスト(朝日新聞記者)、牧野愛博氏の新著『金正恩と金与正』(文藝春秋)だ。

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淑女から一転、コワモテへと変貌した金与正氏

「金与正とは何者か」と題された第1章で始まる本書はまず、北朝鮮を牛耳るキーパーソンでありながら、素性が見えない正恩氏の実妹、金与正(キム・ヨジョン)氏にフォーカスする。

 与正氏といえば、2018年の平昌五輪外交での淑女ぶりが世界の注目を集めた。しかし、2020年6月4日に発表した声明では一転、脱北者団体と韓国を「人間のクズ」などと批判。6月13日には、南北関係が跡形もなく崩れ去ると予告し、16日に開城市の南北共同連絡事務所を爆破して、淑女からコワモテへの変貌ぶりが世界に衝撃を与えた。

 著者は、この与正氏のイメチェンパフォーマンスを足掛かりにしてその素性に迫り、さらに兄妹を支えるエリート集団「赤い貴族」の実態や、これまでに2人が採った政策や、その結果としての庶民の生活の質の変化などに触れ、それぞれの統治者、政治家としての功罪を指摘する。

 もちろん、世界を驚愕させたマレーシアのクアラルンプール空港での「金正男暗殺」の背景にも1章を割いて触れており、最終章では、終わることのない「核ミサイルの脅威」について、歴代の重要な国際外交史を振り返りつつ、不透明なこれからを推察していく。

 こうした本書全体を通して浮かび上がるリアルな現在の北朝鮮、その姿はもはや、人民の平等や公正な社会を標榜する社会主義国家のそれとは、大きくかけ離れているようだ。

 その一端として、北朝鮮のスマホ事情を紹介しよう。

 本書によれば、2020年現在で、600万台以上の携帯電話が使われているという北朝鮮で、スマホは「タッチフォン」と呼ばれ、2013年に登場したという。

 値段は決して安くはなく、庶民にとっては高嶺の花だ。本書によれば、平壌市民、一家4人の1か月の生活費は最低100ドルかかるという。多くの家庭でその費用の捻出にさえ苦心しているのに、著者が入手したスマホ「アリラン」は機種代だけでも620ドル(当然ながらさらに通話料がかかる)と高価なため、富裕層の男性たちの間では「スマホを結婚指輪代わりに贈る」ことが数年前より流行っているそうだ。

 こうした一部の富裕層しか持てないスマホは、著者によれば「富の象徴」であり、そんなスマホを公共の場で臆することなく人々が使うのは、「北朝鮮の人々が『我々の社会は、事実上、資本主義だ』と認めたことを意味する」のだという。

 ちなみにそんな高価でありながらも、外の世界とは決してつながらない閉鎖的な国内イントラネット環境のスマホで、人々はどんなコンテンツを楽しんでいるのか。本書には、アプリの解説もあるので、ぜひ、チェックしてみてほしい。

 北朝鮮が事実上の資本主義社会であることは他にも、著者が詳述する崩壊した「無償教育制度」「無償医療制度」や、あらゆる局面で賄賂が物を言う社会の現状からも明確なようだ。

北朝鮮史上最大の国難を知らずに西洋文化で育った世代

 本書には、ある古参の大学教授が学生家族から賄賂を“ノルマとして”徴収しなければいけない現状を嘆き、自死を図った事例の背景が記されている。

 おそらく、建国の父・金日成の統治や、今よりは人民に関心を示した金正日の時代を知る古い世代にとっては特に、自国民間で必死に金を奪い合う現在の北朝鮮社会は耐え難いものなのだろう。

 なぜ、一部の特権階級だけが安穏して暮らし、その他庶民ばかりが重圧に苦しむのか。

 その根幹にあると著者が指摘するのが、1994年から98年にかけて、300万人ともいわれる餓死者を出した「苦難の行軍」を知らない、第3世代たちによる人民をかえりみない統治だ。

 この第3世代とは、国難の時代を欧州でのうのうと過ごし、西洋文化を思い切り享受していた正恩氏と与正氏ら金日成の血筋のロイヤルファミリーがその筆頭だ。そして、金日成とともに抗日パルチザンとして戦った同志たちの子孫の多くも、エリート階級という立場で同じく90年代を欧州で過ごしているという。

 著者によれば、これら北朝鮮史上最大の国難を知らずに西洋文化で育った世代が「赤い貴族」として、自分たちの特権をいかに未来永劫、保持するかを目的に統治を牛耳っているのが現在の北朝鮮の実態なのだという。

 本書を読んで感じるのは、あらゆる階層の人たちがそれぞれの立場で、常に「怖れ」を抱いているということだ。権力者は体制崩壊を怖れ、参謀たちは粛清を怖れ、市民たちは圧政を怖れている。

 与正氏の言動には、男尊女卑が横行する朝鮮社会へのレジスタンス(反抗)とみられる側面もあると著者はいう。

 はたしてそんな与正氏が後継者となり、北朝鮮を大きく変え、核の緊張を緩和するのか否か。そんな未来像を探ってみたい人はぜひ、本書が明かす北朝鮮の現状を知っておこう。

文=未来遥

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