『クローズアップ現代+』出演でも話題! いま日本人にも必要な「エンパシー」の意味が深まるブレイディみかこ氏最新刊!

文芸・カルチャー

更新日:2021/7/30

他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ
)『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(ブレイディみかこ/文藝春秋)

 先日の『クローズアップ現代+』(NHK)の出演でも話題のブレイディみかこさんの新刊『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)がこのほど出版された。ブレイディさんといえば、2019年に刊行され大きな話題となった『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)を記憶されている方も多いだろう。

 イギリス在住の著者が、人種も貧富もさまざまな「元・底辺中学校」に通う息子の姿を通じて、イギリスが抱える「貧困」「差別」「ジェンダー」などの諸問題に親子で向き合う一冊は、子どもの感性に大人が色々なことを教えられるという意味でも刺激的だった。

 中でも多くの読者の印象に残ったというやりとりは「エンパシー」について(期末テストで「エンパシーとは何か?」を問われた息子が、イギリスの慣用的な表現を使って「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えたという4Pほどのエピソードだ)。著者によれば、本についての取材でもいつもこの「エンパシー」について聞かれ、書評でもツイッターの反応でもこの言葉への言及が圧倒的だったのだという。新刊はそうした状況に驚いた著者があらためて「エンパシー」について考えた一冊だ。

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 エンパシー(empathy)とは「他者の感情や経験などを理解する能力」(オックスフォード英英辞典)のこと。日本語では「共感」のように訳されることもありシンパシー(sympathy)と混同されやすいが、シンパシーは「誰かをかわいそうだと思う感情/ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為…」のように「感情」や「行為」であり(対するエンパシーはあくまで「能力」)、対象も「かわいそうな人」だったり「同じ考えを持つ人」だったりと制約がある(エンパシーは「他者」と広い)。つまり、エンパシーは別に相手に同情するとか同じ意見だからということなしに「その人の立場だったら自分はどうだろう?」と想像してみる知的能力であり、イギリスの学校では「テロやEU離脱や広がる格差で人々の分断が進む中、エンパシーがとても大切」と教育上強調されているという。

 とはいえエンパシーという言葉は1900年代初頭に心理学的な造語として作られたものであり、現在も単純に「エンパシー万歳」と推奨されているわけではない。そのため本書はエンパシーについての様々な議論をコロナ禍の日常を通じて考察していくのだが、その議論はかなり多面的であり、読みながら「なぜ欧米はここまで『エンパシー』にこだわるのか?」と逆に興味を持つほどだ。

 翻って日本はもともと「忖度」や「暗黙の了解」などの言葉が心情として理解されてしまうほど同調性が高く、「他者に敏感すぎる」ことで悩んでいる人も多い社会。その中であらためて「エンパシー」が意識されるということは、それだけ日常生活に「分断」を感じることが増えた現れでもあるだろう。一方で「迷惑をかけない(かけられたくない)」と文化的に他者との繋がりをシャットアウトする面もあり、エンパシー実践の壁にもなっている。著者は閉じるのではなく「煩わせ合い、ハッピーになりたい欲望のままに他者とつながる。(中略)祖国の人々は、もっとわがままになって他者の靴を履くべき」と記すが、そのためにもまずは「エンパシーを実践する主体としての自分」が何を考え、何を欲しているのか、他者ではなく自分自身の思いに自覚的に正直になることが必要だろう。そしてそれがあれば、同じように「個」を持つ他に対して寛容にもなれるだろう。著者は「わたしがわたし自身を生きる」というアナキズムの思想を信奉し、「自由になれば、人間は多くの靴を履くことができる」というアナーキック・エンパシーをすすめるが、この「アナーキー」の部分にこそ、日本人が意識すべき「強さ」のヒントがありそうだ。

 本書は『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の副読本的な一冊でもあるとのこと。あなた自身が「私はいかに自分を生き、他者と生きるか」を考えるために、著者と共に広い「エンパシー」の世界を旅してみてはどうだろう。

文=荒井理恵

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