サイボーグとして、生きる。難病と向き合った科学者が目指した、究極の自由

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更新日:2021/7/12

NEO HUMAN ネオ・ヒューマン 究極の自由を得る未来
『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン 究極の自由を得る未来』(ピーター・スコット-モーガン:著、藤田美菜子:訳/東洋経済新報社)

 火の中だろうと水の中だろうと平気、銃弾も鋼鉄のボディで弾き返し、マッハで走っては肩からミサイルやレーザービームを発射して敵を倒す――サイボーグという言葉から我々が連想するのは、そんなイメージではないだろうか。『ターミネーター』のアーノルド・シュワルツェネッガーにしても仮面ライダーにしてもそう。彼らは、強くて、タフで、かっこいい。

 だが、『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン 究極の自由を得る未来』(ピーター・スコット-モーガン:著、藤田美菜子:訳/東洋経済新報社)に登場する「サイボーグ」はそれとは少し違う。「彼」はただ、人間と同じように動き、見て、聞いて、しゃべることを望む。そして、そうした人間の行為すべてを、広大なインターネット空間に解き放って持続しようとする。でも、そこにはターミネーターや仮面ライダーに勝るとも劣らないロマンと感動がある。

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 この本は、ロボット工学博士であり、優れた組織マネジネント論を武器に世界的なコンサルティングファームADLで活躍した経営コンサルタントでもあるピーター・スコット-モーガン氏が、ALS(筋萎縮性側索硬化症。全身の筋肉が萎縮していってしまう難病)の発症をきっかけに自らをAIと融合して、デジタル空間で「生きる」ことを模索していく記録である。とはいえ、本書は医学や科学の専門用語が飛び交う小難しい学術エッセイでも、闘病ドキュメントでもない。感動的ではあるが、読後にはある種の爽快感すらある。

 画期的な治療法もなく、発症後はだんだんと筋肉の機能を失い、やがて自発呼吸もできなくなってしまうという難病、ALS。50代にしてその難病に直面したピーターは、しかし、その発症を科学者としての本能から「千載一遇のチャンス」と捉える。そしてすぐさまプロジェクトをスタートさせ、プロフェッショナルを世界中からかき集め、さまざまなアイディアを実現し、目標の実現に向かって邁進する。大学でロボット工学を研究した経験、テックコンサルタントとしての実績やコネクション、何より類稀なる情熱と揺るぎない反骨精神、そして長年のパートナーであるフランシスとの強い絆。そういった「武器」を駆使して、人間としての「新しい形」を作っていくのだ。

 本書に描かれる著者の「闘争」とは、単に50歳を過ぎた彼の目の前に現れたALSという「敵」にどう対処するか、というものではない。本書が彼のALSとの闘いと並行する形で、彼自身の半生を振り返る構成になっていることからもわかる通り、彼が実現しようとしているのはその人生を貫くひとつのテーマであり、真の意味で自由で持続可能な人間活動だ。そのために、食べ物を取り込むためのチューブと排泄物を体の外に出すためのチューブを一度に体に植え込み、自身の声で話し続けるために合成音声の作成に着手し、足となる電動車椅子を、車より速く走れるようチューンアップする。すべてが現時点で彼が望むクオリティに達しているわけではないが、どんな困難に直面してもピーターは止まらない。

「諸君は『選択』を迫られているのだ。科学技術による『勝利の可能性』か、それを放棄することによる『確実な敗北』かを」(『存在しなかった惑星』より)――科学者であり大作家でもあったアイザック・アシモフはかつてそう書いたが、ピーターが目指すのはまさにその「勝利」だ。終わりを先延ばしにして生きながらえるためではなく、よりよい「生」を手に入れるために、あらゆるテクノロジーを投入する。それはまさに、石を叩いて武器を作り、野生の動植物を自らの栄養源としていった、人類の進歩の過程とも重なるものがある。彼のプロジェクトがこれから先どうなっていくかは予想もつかないが、少なくとも、人間にはまだまだ可能性が残されているのだということを、この本は強烈なテンションで教えてくれている。

文=小川智宏

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