日々の悩みは“落語”で解決! 古典から学ぶ、生きやすくなるためのヒント

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公開日:2021/7/7

仕事も人間関係も生き苦しい人のための 落語に学ぶ粗忽者の思考
『仕事も人間関係も生き苦しい人のための 落語に学ぶ粗忽者の思考』(立川談慶/WAVE出版)

 息苦しさや生きづらさ。いつからか、ネット上でもしきりに繰り返されるようになったフレーズだ。世相を反映してか、生きやすくなるためのヒントを与える本は数多く刊行されている。落語家・立川談慶さんの著書『仕事も人間関係も生き苦しい人のための 落語に学ぶ粗忽者の思考』(WAVE出版)も、その一つだ。

 ただ、他の書籍と異なるのは、落語に登場する「あわて者」や「そそっかしい人」に生き方を学ぼうとする趣旨。立川さんいわく“人間臭い一面”を持つ彼らに学べることは、たくさんある。

疲れに気がつけるのは「感受性が鋭敏な証拠」

 本書はまるで、寄席を見ているかのような口調で展開される。職場やSNSの人間関係に疲れている人に向けた項目では、のっけから「お若い現役世代の方と話していると『本業』意外の部分で悩んでいる人が多いことに驚かされます」と、粋な語り口から始まる話にはつい引き込まれてしまう。

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 著者は、人間関係の疲れに気がつけるのは、それ自体「感受性が鋭敏な証拠」であると説く。

 いい加減であったり、適当に生きていたりしたら疲れとは無縁。気疲れは、他の人から見れば「こまやかな心遣い」であり、大きなトラブルの防波堤にもなるし、その先で後輩へ失敗談を語れば「人の心を打つ」こともできるという。

 そして、この話で著者のすすめる落語が「唐茄子屋政談(とうなすやせいだん)」である。筋書きは、放蕩の果てに勘当された金持ちのドラ息子である徳三郎が、おじに助けられ唐茄子売りになり、慣れない商いに骨を折った末に最後は勘当が許されるというもの。ボンボンの徳三郎が地道に唐茄子を売り歩く姿には「励まされるはず」とむすぶ。

人情噺に学ぶ「最後に報われる」と考える大切さ

 とにかく毎日疲れていて、何をしていても楽しくない。いわば無気力の状態。ただ、毎日をルーチンのように過ごしていると、誰のために生きているのかとふさぎこんでしまうときもある。

 しかし、著者は「誰かがきっと見てくれている」という視点を、取り入れるべきだとうながす。生活するには便利な世の中。一人っきりでも暮らしていけるが、「『誰か』の視線を気にするなんて(誰かの力を頼るなんて)恥ずかしい」とする風潮では、本質的な弱さが露呈すると憂う。

 人情噺も数ある落語だが、この話題にちなみ著者が紹介するのが「おかめ団子」だ。ある団子屋に、病に伏せた母のため、毎日一盆ずつの団子を買おうと通っていた親孝行な大根売り・太助。しかしある日、魔が差した彼は、団子屋の金を盗もうとしのびこんでしまう。

 そこで出会ったのが、父から押し付けられた縁談を苦にして首吊り自殺を図ろうとしていた団子屋の娘・おかめ。彼女を引き止めたことで、太助は団子屋の主人から「おかめの婿に」と乞われることになる。

 登場する太助とおかめに共通したのは「報われていない頑張り屋さん」だったこと。2人は結果的に幸せを手にしたが、頑張っている人間が「最後に報われる」という教訓がこの噺には集約されていると述べる。

 時代が変わっても、世の中の原理原則は普遍だという話もある。落語をテーマにした本書の内容も同じ。日々の生活にくたびれた人たちの心に、きっと響くはずだ。

文=カネコシュウヘイ

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