デジタルコンテンツに依存したその先は? ディストピアによって描かれる、愚かで愛おしい人間の本質

文芸・カルチャー

公開日:2021/8/26

あなたにオススメの
『あなたにオススメの』(本谷有希子/講談社)

 エキサイティングな物語の世界に浸るうちに、自分自身、そして今ある現実を客観視せざるをえなくなる。閉じた本から視線を上げると、世界がこれまでと違う色を帯びて見える。本谷有希子の最新作『あなたにオススメの』(講談社)は、そんな読書体験をくれる本だ。

「推子のデフォルト」と「マイイベント」の2編からなるこの1冊。前者では、推子という2児の母である女性が暮らす、近未来とも受け取れる世界が描かれる。さまざまな仕事がAI化され、学校の授業もすべてオンライン化。推子はそんな社会に溶け込み、体中に埋め込んだ電子機器でさまざまなコンテンツを同時進行で楽しんでいる。

 好き嫌いの感情や「シアワセフシアワセ」の基準を持たないことが幸福とされ、子どもは「等質」に育てることが正論の世の中。推子は、子を等質に育てると評判の保育園に我が子を預けているが、方針を知らずに子を預けてしまったママ友の「こぴくんママ」は、子どもをタブレット端末で遊ばせ、人間らしさを奪う保育園に反発。デジタルコンテンツに飽きつつある推子は、そんなもがき苦しむこぴくんママの姿を、最高のコンテンツとして楽しんでいた。しかし、反オンラインを謳う学園の説明会に参加したことをきっかけに、ふたりの母とその関係は変化していく。

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 体内の機器と連動する「須磨後弄(すまあとふぉん)」や、子どもたちの将来の夢として人気の「ええ愛(AI)」など、変な当て字を使って描かれる異常な世界。ただ、読み進めるうちに、急速な社会の変化に順応する者と拒否する者の対話、子育てをめぐる強いこだわりやデジタル依存など、物語のエピソードと近いことが身の回りで起きているとわかる。我が子を自分の思い通りの人間にしようとする親や、育てやすい子を讃え「前ならえ」ができない子を責める我々の社会には、このディストピアと通じるものを感じる。狂った世界への嘲笑は、実は今ある現実に向けられていると感じて怖くなる。

「マイイベント」は、マンションの最上階に住み、防災グッズを買い占め下層階の人々を見下す男の話だ。自分が選んだ、安全で上級な暮らしを堪能する渇幸(かつゆき)。自分がボタンを押して呼んだエレベーターに人が乗ることを邪魔したり、台風前に食料品がなくなったコンビニで困っている母子を前に、飲みたくもないゼリー飲料を買い半分飲んでゴミ箱に捨てたりと、あさましい男として描かれている。

 そんな渇幸とその妻が住むマンションの部屋に、1階に住む家族が避難してくることに。彼らの避難を阻止したい渇幸は、断りに行ったその一家の玄関の前からあるものを持ち去る――。人の不幸を生きがいにする渇幸の満たされた日常が揺さぶられるのだが、いつの間にか、愚かな男の末路に救いがあってほしいと願っている自分に気付く。人間の暗部を一身に背負ったような男を通して、劣等感や優越感にまみれた自分を正当化したい気持ちに直面して戸惑うのだ。

 2編はどちらも人間の本質に鋭く切り込むが、その語り口はユーモアに満ちていて、こんなにも困った人間に対する作者の愛を感じる。倫理的検証のスピードを超える技術の進化や大規模化する災害など、さまざまな危機に瀕する私たちは、この先どこへ向かい、どうなってしまうのか。難しい問いだが、そんな葛藤は、複雑で面白い「人間」だからこそ味わえる贅沢なのかもしれない。諦念と爽快さが混じった、不思議な人間観を与えてくれる1冊だ。

文=川辺美希

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